狩猟(巷説)
□《絞め殺し》
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こちらを向いた顔は、見慣れている筈の者だったのに。
綺麗な綺麗な、藤色の…………
「…藤娘ってトコでやすかね」
「は?私は娘ではありませんが、これは確かに藤の花ですよ」
ドサリと重い房花が幾つか、藤色の美しい色と匂いを辺りに振り撒いている。
考物の百介先生は、手にした藤の蔓花を顔の辺りに持ち上げて、『綺麗ですよね』と笑う。
その無邪気な笑みに、又市は『お綺麗なンは先生ェで』と言い掛けて、首を振って余計な口を閉じた。
高い木の上を藤色に染めて咲く様が、余りに綺麗だったので、少し貰ってしまいました、と。
百介が愛でている藤に対して、又市の胸の奥が何やら痛む。
「“絞め殺し”の木でやすよ」
「えっ?」
「藤ってェのは、確かに蔓も強い。だが寄り付いて巻き付いた親木まで、絞め殺して枯らす木なんで」
だから、花は愛でても藤の蔓木は嫌がる者も居りやす。
又市の言葉に『へぇ』と重い花房を見詰めて、百介は『絞め殺しの木なんて、呼び名が可哀想ですね』と言う。
「世間様から見りゃあ、奴なんざァ花も咲かない厄介な蔓木でやしょうよ」
「それは酷い」
百介は、顔を撥ね上げる。
又市以上に傷付いた目をするから、こちらの軽口も真剣に聞いてくれているのだ、と理解出来るが。
「奴は…先生を…いつかは絞め殺しちまいますよ」
取り付いて、振り払われないのを良い事に、巻き付き締め付け、何時かは無惨に朽ちさせてしまうだろう。
「そんな、ことは……」
「だからね、先生ェ…此処らで奴とは縁切りなさるのが、」
「嫌、です!」
終いまで聞かずに、百介は激しく馘を振って、嫌だ、と拒否した。
「又市さんは“絞め殺し”の木などではありません。私にしたら、花も実も、蔓さえも役に立つ、大切な木です」
多分、先生なら、『こぅ言うのだろうなぁ』、という予想に違わずな応えに、又市の口許が吊り上がる。
聲を、闇色に沈み込ませ、ズンッと腹に響くドスを効かせて。
又市は冷笑を浮かべながら、百介に吐き捨てた。
「良い加減にしなせェよ」
何様のおつもりで?
百介の手に握られた藤花の、長い蔓を取り上げ、又市は素早く彼の馘に巻き付け。
きゅっ、と。
絞り上げた。
「……あ…」
「早ぇトコ闇から離れなきゃ…こうして、化物に仇ァ為されやすゼ」
藤色の花に縁取られた百介の顔は、又市が冷笑を向けているのに、不思議と浮かぶ感情が無かった。
見慣れて居た筈の、人の善い若隠居の顔ではなく、物好きな旅の考物の先生ェでなく。
「どうぞ、貴方がそぅしたいなら」
又市さんの手で、私の息の根を止めて下さい。
本気じゃあ無い癖に、と揶揄された気がして、又市は蔓を掴む両手に力を込めた。
「……芝居だと?」
蔓を引く力を強め、馘を狭窄させれば、百介はヒュっと息を詰まらせながら。
本気ならば、どうぞ。
そのまま。
括って下さい、と。
「先生ェ?」
困惑した声を上げた又市の目を、鋭い非難の眼差しが火を吹く勢いで貫いた。
「こンな…事で、私の性根をお試しか?」
茫庸と惰性とで何の慾にも囚われず、浮世離れして生きている人の善いだけの苦労知らずのボンボンか、と思えば。
どうしてどうして。
百介は、時に腑抜けた侍以上の気骨を見せる。
今も。
こうして。
手荒い“脅し”だと、逆に又市を威しているのだ。
本気ではない癖に。
私を脅せば、痛い目を見せれば、愛想尽かして自ら離れて行くだろう、なんて……
私は、確かに意気地も根性も御座いません。
が―――
又市さんが思う程、甘く生きては御座いませんよ。
腕の力も抜けた又市の背に、両腕を回して、百介は囁くように告げる。
「済みません……私の方こそ、又市さんにとって“絞め殺し”の木、なのでしょうねぇ……」
ならば、何時かは、私を切り倒して、打捨てて行って下さいね。
『それまでは…又市さんが引導を渡してくれるまでは、一緒に居りとぅ御座います』
又市は、苦笑を浮かべて、散らばった藤の花を一房摘み上げた。
「負けやした…先生ェの方が、余っ程駆け引きにゃ向いてらぁ」
「そりゃあね、生駒屋の若隠居ですから」
違ェねぇ。
又市は、零れた藤花を一房、百介に咥えさせる。
「藤娘、でやすよ」
綺麗な綺麗な……恐ろしい藤の絞め殺し。
-end-