狩猟(巷説)

□《うしろがみ》
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 いかないで。
 と、又市を引き止めたのは…。



 堅気の衆にゃ迷惑を掛けない。
《付き合うなンざァ以ての外よぅ》
 だから。
 又市も、堅気の衆を仕掛けの一部に組込む際には、余程に神経を遣った。
 拘るだけでも障りが出る。
 陽の下に居る者に、闇に棲む者が拘れば、必ず不幸を呼び込んでしまうのは、もぅ身に染みて理解していたから。
 なのに、又市自身も思いも寄らずに、例外が現れた。
 浮き世離れの若隠居。
 三度の飯よりも妖怪が大好きという変り者。
 戯作者志望の『考物の先生ェ』が。
 何故か、又市の仕掛けに拘った。
 拘って仕掛けの一部に組込んでしまったなら、何も知らせず気付かれずに、サッサと縁切りすりゃあ良かったのに。
 そのまま、又市達は痕跡すら残さず、彼の前から闇に消えても良かったのに。
 考物の百介先生…、小悪党一味の末端、もとい、要になっちまって。
 どうにもこぅにも、縁が切れない。
『御行殿』との呼び掛けが、何とも他人行儀だ、と苦笑していたら。
 いつの間にか『又市さん』と名を呼ばれていて、それに気付いた又市は内心浮き立つ思いがした。
 それが、それが…。



 又市は重い溜息を付く。
『…手ェ出しちまった…』
 山岡百介。
 又市にとって、唯一の浮世の“心残り”になる相手。
 彼の肌を知って、その身を抱いてしまった以上は。
 …好いた惚れた、とは決して口にせずにいよう、と。
 そう思う側から、又市の決意は簡単にグラつく。
 何度、『惚れておりやすよ』と口走り掛けたか。
 何度『好いておりやす』と、百介の目を見詰めて“誠意”を伝えてしまいたい、と思ったことか。



「好き、ですよ…」
 散々嬲り抜いて泣かせた身をしどけなく横倒えながら、百介は又市に優しい笑みさえ見せるのだ。
 好き、と口走り、又市さんっ、と腕の中で悦楽に啼く百介を、抱き締めて、それだけでも十分に満されている筈なのに。
 この人を。
 己をも。
 騙り騙しているから、余計に哀しい。
「行かないで下さい、と私がお願いしたら」
 又市さんは、どぅなさいますか?
「さぁて…」
 咄嗟には応えられなかった。
 百介は、そんな又市の応えを承知していて、『だから良いんですよ』と頷く。
「どぅにもならない。それならば、又市さんのお好きなように為さって下さいな」
 少なくとも私は、又市さんとこぅしているのも嫌いではありませんから。
 ああ…ああ…。
 では彼は、全部を聡っているのだろうか?
 こぅして二人が触れ合う事すら、“離別”を速めているという意味に。
 ならば、誠意を告げる時すら無いのにも…聡って理解してしまっているのだろう。
 又市は、無惨な想いに泣きたくなる。
『連れ攫ってしまいてぇ――』
 このまま、彼を抱き締めて。
 闇の底まで。
 連れ去ってしまいたい。
 それが出来ないことは、よくよく理解してるのに。

 又市は、口を噤んで身支度を整えるのに専念した。
 百介も、それ以上は何も言わずに、ただ又市の背を見て居るだけ、で。
 すっかり身支度が整い、影のように御暇しようと又市が百介に向き直った時に。
 百介の、その目が…。
『いかないで――』
 と、…そう。
 強く訴えて来るのを見て。
 又市は戯箱を取り落としそうになってしまった。

 言えば、少しは楽になるのか?
 余計に彼を苦しませる羽目にならないか?
 判らないから、又市は口許に人を喰ったような冷笑を浮かべて、百介に告げる。
「また…来やす…」
 あぁ!
 これでまた、この御人と縁切りが出来ねぇな…。
 離れから音も立てずに出て、裏木戸を潜ってから。
 又市は、手前ェの口を手で捻り上げた。
「小股潜りに騙り口を使わせねぇなンざ…先生ェの方が上手だねぇ…」




-end-

 

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