狩猟(巷説)

□《お刺身》
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「“お刺身”ですかぁ?」
 ああ、そう言われれば“初鰹”の頃ですよね。
 呑気で人の善い若隠居は、又市の投げた悪戯な問いに、本気で首を捻って思考を巡らせる。
「“初鰹”は高価で、とても手が出ませんが、寿司ならば掛け小屋の辺りで食べられますよ」
 いや、別に腹が減った訳では無いが。
 又市は苦笑を浮かべる。
 又市達、小悪党からは『考物の百介先生』と二つ銘を付けられる位に、人から聴いた怪談奇譚の類いならば一度で覚えて帳面に書き写したり、妖怪に関する書物ならば残らず暗記していたりと、とても頭が良い筈なのに。
 どうしてか?
『野暮天っつーか、色事にゃア疎いっつーか』
 だから又市にして見たらば、付け込む隙だらけ、なのだ。
 ニヤリ、と人を喰ったような笑みを浮かべた又市は、ヒョイと百介の手首を掴み路地を曲がる。
「どうせなら、奴がたぁんと御馳走いたしやしょう」
 他ならぬ先生ェだ、遠慮しねぇで。さアさア、どうぞ。
「えっ、そんな、又市さん」
 握りの寿司は、あっちですよぅ?

 百介は強引に手を引かれながらも、又市を振り払う事はしない。
 全く、甘ェ御人だねぇ。
 又市は、ニンマリと若気た笑みを浮かべそうになるのを押し隠しながら、目当ての店に飛び込んだ。
「お二人様、おあがり〜ぃ」
「へっ?」
 連れ込み茶屋に揚がらされて、流石に場所柄を理解したのか、百介は顔を赤く染めて。
 男と女の合戦場で、食事なんか出来ないだろうと、百介は恐る恐る又市に確認する。
「こ、此所で夕餉を?」
「御馳走しやすから」
 何を、でしょうか?
 上目遣いに問いを発する百介の口を、又市は己の唇を押し当てて塞いでしまう。





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お刺身
 

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