狩猟(巷説)

□《欲しい!!》
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 欲しいモノ、沢山。
 銭金、飯、酒、着物、持ち物。女に博打、煙草。屋敷も土地も。何もかも。
 欲しいと思うモノは、多々あれども…

 又市は、或る意味、様々な欲を目にして来た。
 形あるものも形に出来ないものも。人が、それらを手に入れようと必死に足掻く様も。
 どうしたって手に入れられない結末も。
『人ってェのは…業が深ェなぁ…』
 欲しいと願うモノを、ちょいと匂わし言の葉に乗せて囁くだけで、人は容易く操れる。
 何時かそぅなって欲しいと望む夢を鼻先にチラ付かせれば、人は簡単に手玉に取れる。
 又市は“小股潜り”の技を会得してから、そうして人を騙り騙して生きて来た。
『人はァ弱えェから、夢を見なけりゃ生きられねぇんだ…』
 泡のような夢を騙るから、又市は自分が欲しいモノは『本当は要らない』ものなんだ、と理解していた。

 していた、つもりだった。

「…又市さん?」
 柔らかな口調、穏やかで優しい風貌。身分や貴賤に囚われない、暖かな日溜みたいな人柄の善さ。
 欲しいのは…
 本当に欲しい、と願うモノは…
『要らねェよ!』
 手に入る筈も無い。
 彼と又市とでは、生まれも育ちも、何もかもが違うのだから。
 それでも彼を突き放す事は、自分からは出来そうにも無くて。
 捨鉢な気分で『いっそ、奴を嫌って背を向けてくれれば』と、憎しみすら沸いてくる程。
「先生ェにゃあ欲しいと願うモノはあるンですかぃ」
 隙だらけの癖に、小股潜りの技が効かない。
 付け入る闇さえ見付けられたら、即座に懐深くに忍び寄り、魂までも喰らってやるものを。
 “言の葉”を操るのは、お手の物。
 人を喰ったような薄笑いを浮かべて又市が放った言葉の刃は、見事に仕掛けた相手から切り換えされた。
「そぅですねぇ…私がどぅしても欲しいと思うモノは、決して手に入れられない、と理解してますから」
 だから、要りません。
 きぱっと。
 背をしゃんと伸ばし、如何にも育ちの良さを伺わせる姿勢で座りながら、考物の先生こと山岡百介は言い切った。
 そぅじゃねェんで。
 些か慌てて、又市は聞き返す。
「…いや、奴は先生ェが欲しいモノを、と」
「私が心底から望むのは」
 巷に聞こえた闇の妖怪遣い。
 人の心も世の道理も口先八寸で踊らせる、騙り騙しの小股潜り。
 白い御行装束の、その人を。
 …せめて…心安らかに、仕合わせに出来ないものだろうか。
 又市が、苦しそうな目を時折、自分に向けてくるのに、百介は気付いていた。
 憎しみにも似た視線を、ふっと感じる事もあった。
 自分が側に居る事で、どうしても又市が苦しむのならば。
 見捨ててくれても良いのだ。騙すのならば徹底的に、痕跡すら残す事なく。
 やろうとすれば、又市ならば可能だ。
 百介と完全に縁を切って、闇に行方を眩ませる事など。
 実際、そうしようと、大掛かりな仕掛けの筋書を描いて見せたではないか。
『御行の又市は死んだ』
 と、百介に見せ付けることで。
 なのに…苦しむと判っていて、又市は百介との縁を切らずにいる。
『どうしたら、貴方は?』
 又市は何時、安らぐのだろうか。
 常に気を遣い、心を張り詰め、世間を冷笑し、人を喰った笑いで己をも誤魔化す。何かに急かされるように生き急ぐ、この心優しい人を。
 どうしたら?
「又市さんに私を差し上げたいのです」
 欲しいのならば、全てを奪い去って行け。何もかも、粉々に壊してしまってくれ。
 それで又市が仕合わせになるのならば…なんの、半端な自分の生涯など潰してくれても構わない。
 そう、百介は、望む。
 又市の事が大好きな百介は、そう願う。
「貴方が、好きです」
 ただ好きなんです、と百介は繰り返し。
又市の手を取り、静かに握った。
「信じて下さい、私は、又市さんが好きなんです」
 貴方は闇に棲むもの。どっち付かずの覚悟も意気地もない私は、又市さんの居る処へ行けないのは理解してます。
 でもっ?
 貴方の仕合わせを祈る気持ちは…全てを捨て去っても構わないと願う程に、本当のことなんですよ。
 しっかりと重ねて握られた、百介の暖かな手を、又市は半ば茫然と見詰めていた。



 欲しいモノは…たった一つ…この御人だけ。

 欲しいからこそ、『要らない』と片意地を張っていたのに。
 根こそぎ、崩された。
「どうぞ、貴方の望みを適えて下さい…だって…」
 だって私は、とうに。
 最初に貴方と出会った仕掛けに、私が組み込まれた刻から。
 とうに、貴方のモノ、です。
 又市さんに差し上げましたモノ、ですよ。

 又市は、強い酒に酔ったような気持ちで、百介の躯を己の腕の中に閉じ込める。

 欲しいモノは、一つだけ…。
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