狩猟(巷説)

□《封じる》
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 彼には、得意の騙り技が、使えない。

「好きって、簡単には使えない言葉なんですか?」
「まぁ、奴みてぇな口先だけの小悪党は、滅多に口には出来やせンがね」
 言ったとしても、信じて貰えやしませんや。
 おやまぁ、と人の善い若隠居は不思議そうに首を傾げて見せて。
 離れを訪れた白い御行を目の前にして『私はそゥは思いませんが』と微笑を浮かべる。
「又市さんの言葉ならば、私は誠と思い嬉しくなりますけれど」
「…それが偽りの嘘事だァとは思われないんで?」
 ムキになる又市に、百介は『そうですね』と一旦は言葉を切り、やはり柔らかな笑みを浮かべて、はっきりと頷いて見せた。
「本当、と思い込めるなら嘘も誠なのでしょう?ならば、私にとって又市さんの言葉は」
 偽りなどではない、と。
 揺るぎない目指しで。
 逸らさぬ澄んだ眼で。
 又市に対する親愛を、全く隠さずに告げてくれる百介だから。
 世間を憚る小悪党の小股潜りは、恐れ入って項垂れる。
『先生の前では、“好きだ”などと軽々しく口にも出来やせんよ…』
 どんなに、又市からのその言葉を、百介が期待しているとしても。
 その大切な一言は、決して言えない。
 戯れに紛れて、嘘と承知の上で、でなければ。
 口に出せない。
 誠だ、と又市が言の葉に乗せたら最期。
『この御人は何もかも。命すら棄てて、コチラ側に…闇に踏み込んでしまう…』
 言ってはいけない。
 告げてはならない。
 又市が、心の底から惚れている相手だからこそ。
 百介は、『それでも良いのですよ』と柔らかく笑う。
「私は、沢山言いますけどね。又市さんが、大好きですから」
 本当に本当の、嘘偽り無い誠ですよ。
 手前勝手に惚込んで、騙されていると承知で『好きだ』と返答しているのだから、と。
 その事を又市が、何ら負担になぞ思う事すらないのだ、と。
 その優しさに、『奴よりも狡ぃ御人だァ』と、又市は深々と溜め息付いて。
 クスクス、と小さく笑い声を立てている百介を、何も言わずに腕の中に抱き込んだ。




-end-

 

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