狩猟(巷説)
□闇宗主《逆転異議有り》
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「怖いですか」
柔らかな物言いが、余程怖い。
目の前にいる、きちんと背を伸ばして正座している、この得体の知れぬ若い男が。
又市は、心底怖くなった。
≡≡≡≡≡≡≡≡≡
総ては、この弥勒三千の“小股潜り”が絵図面引いた、仕掛けであった。
否!!
あった筈、なのだ。
鬼の洗濯岩の上で、頭カチ割って死んでいる坊主に、仕掛けた復讐の妖怪芝居。
それが―――。
「小豆研ぎましょうか、人取って喰いましょうか……」
本当に……。
妖怪“小豆洗い”って、いたのですねぇ。
ポツンと、誰にともなく呟かれた総髪の男の言葉に、惨状を目撃した雨宿りの面々は、恐ろし気に身を震わせ、冷えた雨上がりの山道をそれぞれの目的地を目指し、振り返りもせずに速足でそそくさと消えて行く。
こんな血腥い場所に一刻も居たくはないだろうし、下手に拘りたくも無いだろう。
さっさと立ち去って、二度と近寄らないのが得策だ、と。
残ったのは、件の得体の知れぬ男と、小股潜りの一味。そして、依頼人であった山小屋の爺さん、だけ。
又市の“仕掛け”を一通り話した後、おぎんと治平は爺さんを村まで連れ帰るからと、先に山小屋を去った。
二人きりで小屋に残されて、先に沈黙を破ったのは、又市だった。
「上手くやりおおせたつもりかぃ?」
おや、と片眉を上げて、戯作者志望という総髪の男は、クッと口許を歪める。
「御行殿?」
「今更、ぶるんじゃねぇよ」
アンタ、一体何者だ?
凄む又市に、クツクツと小さな笑みを向けて。
「私は、江戸は京橋に住う物好きな旅の者で―――」
「そいつぁ聞いてるよ」
「では御行殿、何をお聞きになりたいので?」
「あの坊主……殺ったなぁ、アンタだろ」
疑問すら挟まず断言してのけた相手に、『おやおや』と大仰に驚いて見せるが、山岡百介が又市に向ける柔らかな笑みは全く変わらない。
いや、深みを増し、艶を増したか?
「……鋭いですねぇ」
「認めたかぃ」
「ええ」
コクリ、と一つ顎を引いて、百介は『本当に鋭い』と嬉しそうに言葉を続けた。
他の誰も気付きはしてなかったのに。
「なんで、アンタが……」
完全な部外者である筈の百介が、又市の仕掛けに便乗して、妖怪の仕業にしてまで殺めた、その理由は?
「あの僧が、気に入らなかった」
折角“小豆洗い”まで呼び出して、百物語をして愉しんでいたというのに、無粋この上ない。
不愉快でしたし、目障りでした。
それだけ、ですよ。
百介は、ふぅ、と息を吐いた。
「剃髪してる僧にしては、随分と血の匂いが染み付いているな、とは気付いてましたが」
まさかに、ね。
あれ程、罪を重ね業を深めていたとは、ね。
「……何者だ?」
「それを、私に問いますか?“妖怪遣い”の御行殿」
巨大な妖気が、ドッと又市に襲いかかる。
押し潰されそうになりながら、懐に手を伸ばし神鈴を鳴らそうとして。
いつの間に移動したのか。息も掛かる間近に近付いた百介が、ヒタリ、と手に手を重ねて又市の動きを止めた。
さして力すら込められて居ないのに、又市は全身を押さえつけられているかのように、身動き一つ取れなくなっていた。
「無駄ですよ」
確かに、その神鈴には“特別な力”があるようですが、この“私”には効きません。
大海の荒波のごとくに猛り狂っていた巨大で獰猛な妖気は唐突に消え失せ、又市の前に座る青年は、相変わらず気弱でお人好しな表情を浮かべて微笑している。
「私が、怖いですか?」
この“私”が、恐ろしいですか?
「… … …」
声すら出せず、わななく唇の動きだけで彼の名を表し、又市は今更ながら脂汗が全身に伝うのを感じた。
「何故?」
「なぜ?」
ただの人間に。しかも似非御行風情に、このような伝説や神話の中でしか語られぬ、ある意味“大物”が、力を貸すような真似をするのかが、判らない。
又市の疑問に、アッサリと百介は答えた。
それはもう、至極明快に。
「愉しそうだったので」
貴方と戯びたくなって。
……それが、理由だ、と百介は答えた。
本当ならば、行き会った雨宿りの面子は、総て喰らってやろうかとも考えたのですが、貴方にとても興味が沸きました。
自ら『人ではない』ことを露顕するような、恐ろしい科白を吐きながら。
百介が浮かべていたのは。
無邪気で、透明な、笑み。