狩猟(巷説)

□現代版《温泉に行こうっ》1
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「何時も御迷惑を掛けます」
 ペコリと愁傷に頭を下げられ、それ以上文句も言えない田所刑事は歯軋りした。
 この人の善い大学准教授は、田所にしてみたら弟みたいな存在。
 年若いながらも礼儀正しく、物腰柔らかで、しかも男でありながら可愛い気もあり、ナカナカの好人物だ。
 その実兄にしたって、末期いっちまってる重度のブラコンは別としても、検事としては優秀だし男気もある善人なのに。
 なのにっ!どぅしてっ!!
「どーしてこぅも毎度毎度騒ぎを起こすんだっ?」
 二人兄弟揃って。
 しっかっも、だっ!
 何故、クソ忙しい刑事である自分を巻き込まなくては済まないんだっ!?
「済みません。そんなに兄の具合が悪いのでしょうか?」
 田所刑事が、わざわざ呼びに来る程、実兄の体調が思わしくないのか。
 山岡百介が顔を曇らせるが、田所はパタパタと手を振って『違う違う』と顔を歪めつつ、否定した。
「そぅじゃ無ぇ。ありゃストライキだな」
「は?」
 山岡軍八郎検事、なんでも机の上に書類の山脈を築き上げ、仕事もせんと派手な溜め息の海に溺れているんだそうな。
 当の本人に注意すりゃ良いのだが、不機嫌絶頂の軍八郎に物申せるような命知らずは居らなんだ。
 検察から刑事課へ。
 結局は巡り巡って、『何とかしろよぉ〜』と直接の上司に泣き付かれ急っ突かれた田所が、嫌々ながらも此処“化野”に足を運んだ訳で。
 大体が、軍八郎の突然なストライキの訳を、田所だってサッパリ判らないのだ。
 となれば、軍八郎と血の繋がった唯一の愛弟に、始末を頼むしかないではないか?
「あ〜、旦那ァ。そりゃ、アレでやしょうな」
「又市さん?」
「何だ?山岡のストライキの訳を知ってるのか?」
 百介の最愛の恋人・同棲相手の又市は、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて、これ見よがしに百介の座る椅子の肘掛けに尻を乗せた。
 その慣れ慣れしさに顔をしかめたのは田所だが、むしろ嬉しそうに又市の顔を見上げた百介は、そっと手を相手の膝に乗せて尋ねる。
「兄上の事で、何か思い当たることが?」
「大有りのコンコンチキでさァ。きっと、先生と奴が温泉旅行するってのが、ストライキの原因でやしょうよ」
 はあっ?
 と、田所はスッ頓驚な聲を上げた。
「また、どこぞの古道具でも見に行くのかよ?」
 それもその筈。
 この百介先生、大学で民俗学なんて講義を受け持っているせいなのか、学術調査に出掛ける都度、必ず厄介な事件に出っ喰わすのである。
 単なる事故、で済めば儲物。
 時効後の未解決事件、猟奇惨殺事件に怪奇密室殺人事件、挙句は心霊現象絡みの迷宮入り事件、とまぁ、確率的に百花繚乱の有様。
『眠っている妖怪を蹴り起こしにフィールドワークしている』と陰口叩かれるのも、さも有りなん。
 その都度、事件に拘った愛弟を心配した軍八郎に引き摺られ、刑事の田所が管轄外の事件に首を突っ込む羽目になる。
 田所の非難がましい目に、違いますよ、と百介は微笑を浮かべて、傍らの又市に上半身を擦り寄せた。
「フィールドワークではなく、今度は、単なる休暇旅行なんです」
 階下の小料理屋“化野”(このビルのオーナーは百介である)の、板前である治平とお女将さんの夫婦二人も、たまには温泉で骨休みして貰おう、と。
 序でに、自分達ものんびりと旅行しようか、なんて急遽話が纏まって。
 それを軍八郎に話したのが、先日のこと。
「話したら?山岡が不貞腐れて?」
 そこまで聞いていた田所のコメカミに、青筋が浮かぶ。
『ふぅっふっふっ』
 含み笑いにも、何やら不気味な陰が籠っていたりして。
「ンな馬鹿な理由で俺を巻き添えにしたんかいっ。山岡の馬鹿野郎ーっ!!」
「まぁ、山岡の旦那の気持ちも、奴ぁ判りやすがね」
 百介が、又市の二人っきりで旅行すると、とても楽しそうに話すのを聞いて。
 末期のブラコンな兄貴は、相当にショックを受けたらしい。
 可愛い可愛い弟が、恋敵でもある又市と、二人きりの水入らずな温泉旅行でしっぽりと。
 なんて想像してしまうと。
 なまじ百介とは兄弟の垣根を越えて肌身を重ねた仲でもある訳だから、軍八郎も悶々としてしまい仕事も手に付かないのだろう。
 百介の妖艶さは、この世に二人だけが知っていること。
 同棲相手である恋人の又市と、実の兄である軍八郎との、たった二人だけが。
『だがね、百介さんだけは、他の誰にも譲れねぇな』
 例え、それが、実の兄貴であろうとも、だ。
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