待伏せ(やおい)

□《奴と百介さん》
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 ガサガサと、下藪掻き分けての雑草毟り。
 朝早いってのに、夏の日差しは容赦無い。
「暑ィ………」
 奴は、泥と草汁に汚れた手で、吹き出す汗を拭った。
 この園庭を綺麗にするのが、“庭師”という一応の名目付けられた、奴の仕事。
「又さ〜ん、こっちかぇ?」
 屋敷の女中、おぎんの声が近付く。
 奴は首に巻いていた白いタオルを振って、茂った植込みの中から立ち上がる。
「あっ?!矢っ張り〜っ」
 奴を見付けるなり駆け寄って来たおぎんは、汗塗れ泥塗れになってる奴を見て、盛大に溜息付いた。
「なンでぇ?」
「ああっもうっ。御領主様が、もう直に御戻りなんだよぅっ」
 この辺りの六ヶ村もの土地を所有する、広大な屋敷の主人。金持ちで格式高い家柄の御貴族様でもあるが。
 確か、御領主様の御帰りは未だ先の話じゃなかったか?
「……へっ?」
 聞いて無い。つーことは?
「矢張り、誰も知らせて無かったんだねっ」
 奴はブンブンと首を縦に振る。
 ツンボ桟敷はいつもの事、とは言え。
「エゲツねぇなぁ」
「ああっ、もうっ、御出迎えの時刻だよっ」
 一応伝えたよ、とおぎんは身を翻し、屋敷の中に駆け戻っていく。
「…嫌われてるなぁ」
 本来ならば奴は、領主の目にも入れぬ下賤の産まれ。村の厄介者で嫌われ者。前の領主の慰み奴隷。
 それが、今の御領主様に気に入られ、鶴の一声。
 奴は、屋敷の庭師として迎えられた。一応は。
 まだ若い御領主様は、暖かな優しい御気性で、村のアイドル・生神様状態。
 そこに奴が現われた訳だから、風当たりは当然キツい。
 身分違いも良い処の、奴と御領主様の恋愛を、おぎんの様に暖かな目で声援送る者ばかりではない。
 奴の存在が気に入らない御領主の側仕えの者達によって、出迎えもさせないよう、こんな低レベルな嫌がらせをされるが。
「なぁに、奴なら」
 嫌がらせなんか、平気の屁、だ。
 何故なら、あの御人が帰って来る。
 奴にとっては、誰よりも何よりも愛しい御領主様が。
 服に付いた泥や草葉を叩いて落としながら、小屋に戻ろうとしたら、こちらに走って来るパタパタと足音が。
「又市さーんっ」
 奴の名を呼びながら、飛び付いて来るしなやかな躯。
 抱き締めて、奴の服が汚れていたのを思い出す。
 上物仕立ての外出着のまま、御領主様は奴に抱き付き、笑顔で頬擦りまでして。
「御帰りなさいませ、御領主様」
「その呼び方、意地悪ですよ又市さん」
「それより、綺麗な服が汚れっちまいやすよ」
「良いんです、私は又市さんに会えなくて………寂しくて寂しくて」
「百介さん」
「はい」
「……もしや、屋敷に帰ってないンで?」
「ええ、門の前で車から降りて。又市さんに会いたくて」
 そのまま駆けて来ました、と。
 恋人に会えた嬉しさにニッコリ笑う百介さんは、屋敷の中から響く大騒ぎに全く気にする様子も無い。
 広い館の玄関ホールにズラリと使用人が揃って御領主様を出迎えるセレモニーも放り投げ、当の百介さんは粗末な小屋の前で薄汚れている奴の顔にキスをしているのだから。
「……百介さん」
「こんな服、又市さんの前では要りません」
 貴方に触れて貰えるなら、何も要らない。裸でも良いんです。
 そんな風に言われて、奴の胸も愛しさに焦がれてしまう。
「仕様の無い領主様でやすね」
「違いますよ。私は、又市さんだけの恋の奴隷です」
 百介さんの服を脱がせながら、奴は小屋の中に入って行く。
 明日は朝から側仕えヤツらの嫌味の嵐だろうが、なぁに、気にするこっちゃねぇや。
 それよか、久し振りの百介さんの躯に、たっぷりと溺れてぇな。
 たぁんと、可愛がって差し上げやすよぅ。
 そう耳に囁けば、百介は全身を朱に染めて、『お好きなだけ……』と奴に抱き付いて来た。



2007.7.11 -END-
 

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