狩猟(巷説U)

□白駒党《琴古主》
2ページ/7ページ

 又市の描く仕掛け絵図を正確に読解き、予想し、対応策を一昼夜で仕込み直して見せた百介の方こそ、喜三郎には誇らしくも恐ろしい存在である。



 その頃。
 蹌踉とした又市は念仏長屋を訪れていた。
 そこを根城にしている事触れの治平は、浮かぬ顔というより血の気の引いた顔をしている又市を前に、首を捻ってしまった。
 仕掛けの為に忍び込んだ件の屋敷の奥で、又市はとんでもない相手とカチ会ったと言うのだが。
「なんだとぅ?じゃア又公が例の屋敷で会ったのは」
「多分な…ありゃア巷で噂の、白駒党だぜ」
 又市の話に、ほお〜、と治平は身を乗り出した。
「顔は見たンかよ?」
 見るも何も、黒一色の盗人装束の上に、忍者の様に面を隠していたのだ。
 判る筈もない、その筈だが。
「いや……だが、な……」
 歯切れも悪く言葉を切った又市は、『顔は見ねぇが…知ってるヤツだ…』と口にした。
 又市だからこそ、違和感に気付いた。
 全く見知らぬ盗人相手だと言うのに、奇妙な既視感に襲われ、その訳を良く考えている内に、脳裏を過ぎった人物が一人。
 まさか、と又市が己を笑い飛そうにも、思考は『そうだ』と正解を告げた。
「確かに、ありゃあ…奴の知ってる御人だった…」
「ぁあ?御人って…まさか」
 こちらも笑い飛ばそうとした治平は、それが誰を指すかに思い当たり、息を詰めた。
「冗談、じゃねぇな…」
「冗談でも言えるかよ…真っ当な堅気の御人だァと、こちとら信じていたンだがなァ…」
 又市は、薄っ暗い目付きで治平に向き直った。
「………確かめて見れば判らぁな」



 生駒屋の離れで、人目を避けるような夜更けに、りん、と鈴の音が響いた。
「ああ…やはり」
 百介は、又市の訪れを期待してもいたので、素直に喜びを表に出し、裏庭に面した障子窓を引き開けた。
「又市さんっ」
 離れから漏れる僅かな明りに照らされ、闇の中から姿を現した又市は常の人を喰ったような笑みを浮かべたまま、近寄って来た。
「夜分に真っ平御免なせぇ」
「いえいえ、来てくれて嬉しいです」
 又市は、窓越しに百介の側に近付くと、くんっと彼の匂いを嗅いだ。
『矢張り、あの影の体付き…それに、この匂い…先生ェ』
 そぅだ、あの奥座敷で相対した盗賊団の頭は、この人だぁ。
 体付きはどぅとも誤魔化せようが、影は嘘を付かない。
 又市は何喰わぬ顔付きのまま『ちと、助けて頂きてェことがありやして』と、百介に切り出した。
「はい、私に出来ることでしたら、何なりと。処で今回はどちらに行くのでしょうか」
 又市の誘いに、ニコニコと笑みを浮かべて、百介は一も二も無く乗ったのだ。
 手形の用意を明日にでもしましょう、と笑顔のまま予定を立てる百介に、又市は次の一手を口にした。
「いや…この江戸で仕掛けるンでやすが。その相手ン家に忍び込む手段が無くてねぇ」
「は、はぁ?」
 百介は、内心でニヤリとした。
『手段、と来たかぇ?流石に口から産まれた小股潜り、誘いが上手いねぇ』
 恐らく、白駒党の正体を知るべく、真っ先に又市が取る行動は、これだろう。
 仕掛け芝居に託つけて、こちらの出方を見極め、百介の行動を張るつもりだ。
『鋭いねぇ、又市さんは』
 これは寸の間も気が抜けないよ、と百介は胸の内で呟き、さて次には、と身構えた。
「実は、さる武家屋敷に入り込みたいンでやすが…先生ェ、何か良い手立てはありやすかねぇ」
 そぅ言った又市は、抜かり無く百介の出方を窺っていた。



「いや、着慣れねぇ格好なんざァ、するもンじゃねぇな」
 決まり悪そうに、格好が付かぬとボヤく又市は、大店の手代の格好。剃髪している頭には、鬘を被って髷を誤魔化して。
「良く御似合いですよ」
 クスクスと笑う百介は、大店の主人のように質素でありながら裏地にも金の掛かった上物羽織りに袖を通していた。
「仕方ないですよ、その武家屋敷に正面から入るなら、こんな方法でしか…」
「そりゃ先生ェは昔取った杵柄、本業なんでやすから地で出来やすが、奴はぁ」
「そんな。私だって心の臓が壊れてしまいそうなんですよ」
「いやいやイヤ、先生ェこそ、本当に良く御似合いで」
 そぅ百介と話しながら、手代に化けた又市は背負った風呂敷包みを揺すり上げた。
「その武家屋敷と生駒屋と面識があって助かりやしたよ」
「いえ、先々代の頃にお品を一二度納めただけでしたから、上手く行くかは…」
 又市が背負うのは、特別誂えの薫り蝋燭。
 表面には灯を付けるのが勿体ない程の、美しい花鳥絵が描かれてある、贈答品としても高価な品だ。
 件の武家屋敷では、代替わりして奥方が迎えられてから、万事が京風に取って変わり、生駒屋を通した蝋燭の御用も無くなっていたのだが。
「その…世継ぎ問題って…難しいのでしょうか」
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ