狩猟(巷説U)
□《狩り》
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生駒屋の離れを訪れた又市に、上がっていかないかと百介が誘った時も、随分と遠慮して障子窓をはさみ裏庭と離れの中とで会話を交わしていた程だ。
「先生ェからの言葉とありゃあ」
どうした理由でも奴は聞きやすよ。
又市は、ニヤリと笑ってそう言ったが、百介は目眩がした。
『命令とあらば』と暗に含まれた意味に、それを聞き逃す程、百介は鈍くなかった。
百介が客分として上、又市達は下。
百介が強く言えば、又市は従うというのだが、それは百介の本意ではない。
無理強いしてまで、又市を付き合わせようという気は百介にはない。
出来れば自然と、お互い憎からず想っているのであれば、もっと親しく交わるのも有りかと考えていたのだが。
百介の思考だけが空回りしていた。
「入りやすよ」
安宿の一室で、格子窓に寄り掛かり外を見ていた百介は、戸の向こうで掛けられた声に振り向いた。
旅の途中で、又市に話があると誘ったのは百介だ。
『太鼓鳴らして山に踏み入れなきゃ狩りにならないですよね』
町屋で弓矢鉄砲振り回しても狩りには為らぬ、と理解している。
狙う獲物が極上ならば、播く餌も罠もそれ相応に凝らなくては。
外回りから戻った又市が、戸を閉めながら『お待たせしやしたか』と笑みを見せて。
「済みません、呼び付けてしまって」
又市の都合もあったろうにと百介が頭を下げれば、『気にするな』と偈箱を脇に置いた又市は片手を上げて百介を制し、行者包みの頭をするりと撫でた。
「先生からのお呼びとあっちゃあ、何を放っても駆け付けやすよ。で、一体ェ何事で?」
さて、と百介は深呼吸を一つ。外をボンヤリ眺めているようでいても、百介は先程から心臓の動悸が激しい。
意を決し膝を進めた百介は、又市の目の前で姿勢を伸ばし、相手の目を見詰めてハッキリと告げた。
「私は又市さんが好きですよ」
「…は?」
口を半開きにしたまま、又市は百介をマジマジと見返した。
「あ、だからどうしろと言う訳ではありません。私が言ったことは直ぐに忘れて下さって結構です」
「…そりゃあまた、何故で?」
普通は覚えていて欲しいとか、奴を抱いてみてェとか…いや抱かれてもいいって訳じゃ御座ンせんが…何かこぅ要求が付いてきやすが?
無論又市を抱きたい訳ではない、と相手の話の途中でブンブンと首を横に振った百介だが。
『それも、ありかな?!』と百介がちょっぴり期待してしまったことは、又市には内緒だ。
ともあれ、野暮天な百介にここまで正面切って告白されたことに対して衝撃を受け、漸く立ち直ったらしい又市は。
「理由を伺って良いですかぃ?」
訳が判らぬと顔に出た又市に、百介は曖昧な笑みを浮かべて応えた。
「私が、又市さんを好きでいたいからです。又市さんに好かれていると思っていたいからです」
ますます混乱してきたらしく、頭に巻いた白木綿を外して短い髪をかきむしる又市に、百介は『済みません』と一応は頭を下げて。
「仕掛け仕事を終えて、私の役処もお終いとなりましたので、江戸に戻る前に話しておきたかったのです」
「先生ェ」
「どうやら私の想いに又市さんも気付かれていた御様子でしたので、言っておこうと思いまして」
又市の言葉を途中で遮るようにして、百介は言い切った。
否定は返らないので、やはり又市からの好意は本当だと、百介は胸がジンと熱くなる気がした。
「あの、出来ましたらこれまで通り、お付き合い下さい」
百介は、切なくなるような笑顔を又市に向けて、もう一度頭を下げた。
「いや、それは無論そぅして貰えたら…いや違いまさぁ。先生ェ、何を奴に…」
慌てた様に又市は片膝を立てて身を浮かせ、百介の腕を掴もうと手を伸ばす。
その手をやんわりと避けたのは、自分の言葉に臆した百介。
「私は、小心者で臆病なんです。ですから、要求なんて又市さんには出来ません」
狩りをするなんて大胆な思いは、とっくに萎れて何処かへ消えてしまっている。
大好きな又市に告白したのなら、小心者で卑怯な百介はいたたまれず、恥ずかしさで逃げ出したくなるだけだ。
小股潜りの又市が、言葉を尽くして相手を仕掛けるなら兎も角、ズブの素人の上に野暮天な百介では『恋の駆け引き』なんて土台無理。
積み上げた言葉が虚しく瓦解するだけだ。
百介は自分を知っている。心弱いこと、小心者であること、卑怯な臆病者でしかないことも。
そんな百介が、これだけ凜とした覚悟を腹に括って生きている又市に、何を望むというのだ?
浅ましい、情けない。恋してるなんて、身の程知らずの上におこがましい。
「何も望みません。何も…」
だって、私から口に出してしまえば、それは又市さんに対しての『命令』になってしまうから。