狩猟(巷説U)

□《狩り》
3ページ/3ページ

 対等な立場として相手を恋うのが恋情ならば、百介は又市には相応しくない。
 ですから要求なんてしません、と。
 百介の言葉に、又市が片手で掴んでいた木綿布が、力を無くした指からヒラリと畳に落ちた。
「奴と先生じゃあ身分が違いやすから…」
「はい」
 それはお互いがイヤという程に知っている(納得はしてないが)
「奴から先生を欲しいと言えば」
 又市から意味あり気に視線を投げられて、百介はドキンと胸を跳ねさせる。
 そう求められれば、百介は又市に全て差し出しても悔いはしないだろう。
 だが、又市は?
「はい、私は構いませんが、又市さんは後で後悔しますか」
「奴は…」
 それでは、肯定されてしまったのと同じだ。
 顔を伏せた相手の声が弱く聞こえて、百介は業と声を励まし明るく応えた。
「そこから先は、言わないで下さい。私は卑怯ですから又市さんに付け込んでしまいますよ」
「……命じて下さりゃ塒の中で…」
 自分からは動けないが、百介が強請すれば、ということか。
 確かに又市の心は軽くなるだろうが、百介には負い目が残る。
 それは卑怯だ、と百介は首を横に振った。
「又市さんを傷付けてまで、私は浅ましく強請ったりは致しませんよ」
 天井を仰いで『あ〜あ』と気抜けした声を上げた又市は。
「何もかもお見通しでやしたか…いや侮れねぇ御人だねぇ」
 吹っ切れたように、クククっと低く嗤い声を立てた。
「それじゃあ…先生、今のままで宜しいンですね」
 念を押された百介は、躊躇いなく又市の手を取った。
 旅の恥は掻き捨てというではないか、乗ってみよう、と百介は思った。
 何処に連れて行かれるかは知らないが、なに、又市と一緒ならば、為るようになって片が付くだろうから。
「ええ、今は」
 思わせぶりに言葉を振った百介に、小股潜りは『ククク』と愉し気に嗤った。
「…今は、ねぇ」
「はい、又市さんが後悔なさらぬ時が来たら、で結構です」
 百介は、ふと息を漏らして『緊張しました』と小さく告げた。
 又市はまた笑って『可愛いらしい御人だ』と、繋いだ手を引き百介を胸に抱き寄せた。



 自由恋愛は、大抵は不幸な終わり方が多い。
 それでも此の世で添えねばあの世でと、心中まで突っ走る恋情という心の高ぶりや燃盛る想いというものを、百介は産まれて始めて、嬉しいとも厄介だとも感じるようになったのだ。




2008.10.10 -END-

前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ