狩猟(巷説)

□《化けたら》
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「おお怖……しねぇよ、安心しな。俺だって主に泣かれるのは辛ェからな」
 百介様はァ、アンタだけを想ってなさる。
 俺に『又市』なんて名付けたのが、良い証拠。
 まるで人に呼び掛けるように、『又市さん…』と。
「あの御人にゃア、恩も義理もあるからな」
 大切に、大事にしてやンなァ。
 どーせ、最後にゃ泣かすんだろ?
『ほれよ』と財布を投げ渡すと、猫又市は、にゃ〜っと笑った。
「けっ、手前ェに言われンでも」
 掴み取った財布から又市が顔を上げれば、薄汚れた白い野良猫が、長い尻尾をくねらせながら、裏路地からヒョイと塀を潜り抜けて行くところだった。
《早く百介様に渡してやれ、御行。今頃、大路を慌てて探し回ってる頃だろうぜ》
 塀の向こうから、にゃやぁ〜ん、と小馬鹿にしたような鳴き声が聞こえ、又市は木塀を一つ蹴飛ばした。



 人通りの激しい大路を、あっちにウロウロ、こっちにウロウロ。
 猫又市が言っていた通りの行動を取ってる百介を見付け、又市は急いで近寄り声を掛けた。
『此れを御探しで?』と差し出した財布に、百介はびっくり眼。
「あああっ、ちょうど探していたところだったんですぅ」
 拾っていて下さったんですか、助かりました又市さん。
 有難う御座います、としきりに頭を下げられ、又市はどうしたものかと鼻の頭をカシカシ指で掻いた。
 掏りにあったとは、考えてもいない様子は、如何にも百介らしいと言えるのだが。
『面白かァねぇな』
 猫又市に一歩先じられたのが、悔しい気がする又市だ。
「そうだっ、財布を拾って下さった御礼に、饅頭は如何ですか」
「あ、いや、そんな訳には」
「私が、何か御礼をしたいのです。あちらの茶屋で、どうですか」
 久し振りに逢えたのだからと、何とか口実付けて逃がすまいとする百介の必死さとひたむきさに、又市は面映ゆくなる。


『どぅせ、最後にゃア泣かすンだろ』
 そうだ。
 ずっと、このままでは居られない。
 いずれ別れなくては、ならない。
 この暖かな優しい心根の御人を、己は酷く傷付け悲しませてしまうのだろう。
 判っている。
 理解りきっていることだ。
 だから、どうした!?
「いや、先生ェ……茶屋も良いですがね……」
 ちょと奴に付き合っておくんなさい。
 そう下心を押し隠して誘えば、『はいっ』と童のように顔を輝かせて頷かれる。
 なんて愛しい人だ。
 そして、なんて哀しい人だろう。
 又市は、何でもない風に冷笑を浮かべた口許を歪めながら。
 ザクリ、と。
 罪悪という名の、鋭い爪で心を抉られる。



《確かに。早く財布を返してやれ、と俺が言ったさ》
 だがな!!
《離れの主を“苛めろ”たァ、誰も言って無ェんだよっ》
 ぐったりと、生駒屋の離れで寝込む百介を横に、猫又市は『しゃーっ』と息を吐き出し、白い御行を威嚇する。
「苛めてねぇよ」
 そらァ、歓喜の涙ってヤツなんだよ。
 嘯く若気た又市は、猫又市に容赦無く引っ掛かれていた。




2007.12.04 -END-

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