狩猟(巷説)

□《躊躇う》
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 ふわり、と……。
 夜闇に融ける白帷子が、風に舞う。
 又市は、暗闇の山道を速足で進んでいた。
 夜目が効くのを幸いに人様の家に忍込み、枕元から人の夢に囁き掛け、御神託を“仕掛け”てきたのだ。
『造作もねぇ…』
 首尾良く事が運び、又市は闇の中で、にたり、と笑んだ。
 これで、怪異がまた一つ村に広がる。波紋を拡げる。

『ぎゃあ』と、山鳥が絞め殺される女のような鳴声を上げる。
 又市の歩みに合わせて、回りの黒々とした木立ちが、ザンッザンッと葉枝を打ち鳴らした。
 人の歩く道は、常に陽の当たる場所を選んで拓かれるから、こんな山中でも影の濃い場所を選んで歩くのは、凶状持ちの悪党か人別外のモノか、獣や妖怪の類いと決まっていて。
 早く戻ろうと、又市は出来るだけ脚を速めた。
 山中の猟師小屋に、仲間が待って居る。
 今夜の初手を済ませば、何食わぬ善人面で仲間達が件の村に入り込み、妖怪芝居の幕開けだ。
 それから…、それで…。
「…先生ェが、庄屋ン処を訪ねるのは、四・五日先か」
 十中八九、いやさ間違い手違い抜かり無く。
 この村の妖怪騒ぎを聞き付けて、あの物好きな若隠居はやって来る。
 来たら、こちらの“仕掛け”に一枚噛んで貰おう。
 又市は、己が目の前に現われた時の百介の反応を考えて、少しだけ忍び笑い……少し、眉をしかめた。
 江戸は京橋の、身許確かな戯作者志望の若者が、現と幻・昼と夜を繋いで結んで、村人達に妖怪を“視せる”役目となる。
 交わることの無い光と闇を、彼が立つ、その足許の位置からジワジワと黄昏に交わらせ、浮世の不条理呑み込んで“妖怪”が躍り出す。
 本当は…。
 本当ならば。彼を巻き込むのは、とても不幸な事なのだが。
 又市の“仕掛け”は人の隠したがる陰、負の感情をも露にしてしまうものだから。
 仕掛けに組込まれた百介は、嫌でも人の持つ負の感情と向き合う羽目になる。
 人の善い、残酷なことが大の苦手な小心者の、山岡百介が。
「…出来れば、こっちに来ないでくれ」
 そぅ口にした又市は、己を嘲笑う。
 来る、だろう。
 間違いなく。
 彼にそぅ仕向けさせたのは、又市自身なのだから。
 彼は、必ず来る。
 又市が、此所に居るから。
 怪異を、又市を追って、百介は来る。
 来て欲しい。早く、速くっ。
 来ないで欲しい。帰れ、返れっ。
 獲物を目掛けて鎌首延ばす蛇のように、又市は息を潜める程に、百介を待ち構えている。
 そして、同じ位の感情の振り幅で、彼が来ない事をも、願うのだ。
 又市自身も戸惑う程に、彼に関する事だけには躊躇いが伴う。
 それは、とても甘くて、苦い想い。
「先生ェ…」
 百介さん、と又市は小さく口の中で呟く。
 とん、と樹に片手を付いて、見えぬ夜空を振り仰ぐ。

 夜風が吹いて、又市の纏う白帷子が闇に融け消えた。




-end-

 

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