狩猟(巷説)

□現代版《温泉に行こうっ》1
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 内心で牙を剥き、せせら笑う又市。
 その傍らで、困ったように首を傾げていた百介は。
「兄上も仕様がないなぁ」
 甘えん坊さんなんだから、と。
 あの軍八郎を知る者達からは目を剥くような問題発言をかました後で。
「お留守番していて下さいね」
 と、又市に言い置いてから。
 百介は田所刑事に『じゃあ行きましょうか』と、柔らかな声を掛けたのである。


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 山岡軍八郎と田所真兵衛は、一緒にランドセル背負って同じ校門を潜った、言わば幼馴染み。
 小中高と気を揃えて同じ学校、同じクラスと一緒に学び競って来た、友でありライバルでもあった。
 途中、山岡家の両親が亡くなるという不幸にもメゲずに、志望大学を現役一発合格。
 初心を忘れず、勤勉に学び励み、官の道に進み、司法に携わり。
 と、まぁ。
 此れだけ聞けば、キャリア検事の山岡が、如何に人望もある優秀な人材であるかが理解できる。
 が!?
 が、である!!
『何故にアイツの恋愛対象が、血を別けた実の弟限定なんだっ?』
 この田所の問題発言には、軍八郎も異議申し立てまつりたかろうが。
 軍八郎だって女性にモテない訳ではない。
 ただ、軍八郎にしてみたら『家族愛が行き過ぎて、歳の離れた弟が心配で堪らずに』と言うことらしいが。
 田所は唸り声を上げる。
 大学時代も、浮付いた噂なんて一つも無かったから、硬派だと思い込んでいたら…。
『くりぃむれもん、だったか…まさか間近に変態ブラコンが居たとは』
 現在、山岡検事は重度のブラコン、で対外的に通している。
 真相を知るのは当事者達と、腐れ縁の親友・田所だけだ。
 そして、今現在。
 最愛の弟が『同棲相手と温泉旅行して来る』と聞いただけで、軍八郎は一切の仕事を放棄してのける程に。
「山岡軍八郎の、馬っ鹿野郎がっ!」
 脳味噌、とっくに蒸し揚がってやがるしっ!!
 田所の怒りの青筋は増すばかり、なのである。


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「旅行ねぇ」
 車のハンドル握りながら、田所刑事は助手席の百介からの話に、フンフンと相槌を打っていた。
「ええ、そこは山奥の秘湯と言われている、源泉掛け流しの旅館なんだそうです」
 何でも、名物は山菜料理で、春先の山菜尽くし秋口の茸尽くし、そして大岩魚の刺身を出してくれるのだそうな。
 しかも地酒が、大変に味が良いとかで。
それを聞いて『ほお〜』と、いけるクチの田所が羨ましそうに頷いた。
「“化野”の板場預かる親爺が太鼓判押すなら、そらぁ良い宿なんだろうなぁ」
 旨い地酒と聞いては、田所も思わず喉が鳴る。
 そんな良い温泉宿に、ゆっくりのんびりと旅行で逗留出来たら。
『山岡がイジケルのも、少し判る気がするなァ〜』
 田所が納得しかけた時、聞き捨てならない発言が耳に飛び込む。
「その地方の山では“山姥”の伝説が有るんですよ」
 はあ?なんですと!?
 温泉宿の説明より、妖怪伝説の方に力入れて、実に楽しそうな笑顔で話をする百介。
 田所は本庁に向かう車の中だというのに、思わずドアに手を掛けた。
 逃げてぇっ。今、この百介先生からっ!
 ハンドル握る田所の手が、ジットリと汗ばむ。
 ただの温泉旅行に怪談噺の入る必要は破片もなしっ!!
 ……って、事はぁ〜?
 そこまで忙しく思考を回転させ、田所は暗澹たる思いにドップリと落ち込んだ。
「まぁた変死体が転がるのか。それとも連続殺人事件の発生かよ」
「田所さん、私が事件を起こしている訳ではありませんよ」
 いつも事件に巻き込まれている百介は、そう抗議はするが。
「実際そうなんだよっ。百介が出張ると、何故か事件が起こる。とっくに時効になった未解決事件まで、掘じくり返す羽目になるんだっ!」
「今度は只のプライベートな旅行ですよ」
「民俗学の先生から妖怪の名が出た時点で、十分に不安なんだよっ」
 喚きながらも車は走る。
 で、目一杯不安と不審を背負った田所が、未決済書類の山脈に埋もれて不貞腐れ果ててる軍八郎の元に、無事に百介を連れて行ってからが、また見物だった。
「兄上、お仕事が捗りませんか?」
 はんなりと、花が綻ぶような笑みを浮かべた百介が、軍八郎の馘に両腕を巻き付け、耳元で二言三言囁いて。
 百介が軍八郎の頬に唇を触れさせた、途端!
「げほぉぅっ」
 田所が顔を引き吊らせる程、軍八郎の両目尻と鼻の下がテレ〜ンと垂れ下がり、何とも締まりの無い表情になったのだ。
 序で、バッサバッサと物凄い勢いで溜まりに溜まった書類を片付け出す。
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