狩猟2(リクエスト)

□キリバン9000リクエスト
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《独りぼっちの定義》

 ふぅわり…、と鼻先に届く柔らかな匂い。
 甘く優しく、心が蕩けて疼くような、不思議な良い薫り。
「な、な。山岡先生の付けてるオーデコロンは特別なんだよっ」
「コロンかぁ?整髪料かもよ」
「まさか古式ゆかしく、服に香でも薫き染めてる、とか」
 有り得そうだーっ、と10人余りの男子学生が燥いだ声を上げていた。
 話題の人物は、山岡百介。某私立大学の民俗学准教授である。
 百介の講義を選択した新入生達は、個人差はあれど、皆この疑問を一度は持つ。
『山岡先生はとても良い薫りがする』、と。
 それは一部男子ばかりでなく、学部の違う女子学生の殆どにも、大なり小なり噂の種を播いているのだ。
「なんでっどーして!?山岡先生は、あんなにピチピチで弛みすらない肌なのっ」
「先生、いつもキッチリとスーツ着てるから。しかも高級ブランドのよ、アレっ」
「馬鹿ね、ブランドスーツばかり見てないで。暑くて上着を脱いだ日の先生の、Yシャツで透けた体の線、見たぁ?」
「見た見た、スンゴイ締まってるのにムキムキでもないのっ」
「きゃーっ、素敵ーっ」
 その山岡先生には、秘密の『恋人がいる』と専らの噂だ。
 百介は、別に隠したりはしてない。
 告白してきた女子大生に、ニッコリと『私には、生涯を共に、と誓った相手がいます』と、断りをいれたくらいだ。
 そんな百介の堂々とした態度に、何処の誰だかなんて気安く問えない雰囲気もあって。
 何処かの高貴な名家の御嬢様だろうか、とか。親同士の決めた幼い許嫁を、成長するまでずっと待っているのだ、とか。憶測だけが飛び交うのみ。
 一体全体、あの純情そうな山岡准教授が、『生涯の伴侶』とまで口にする相手とは?
「何処の誰ーっ
 百介を密かに恋慕う受講生達を、ヤキモキさせているのだ。



「ほんに罪だねぇ、ヘボ探偵」
 おぎんの口の悪さは昔っから。
 とはいえ、足癖の悪さまで昔通りとなると
 又市は、おぎんの強烈な蹴りを寸でで避けながら、『何しやがるっ』と毒付いた。
「だからっ、頭にくるってンだよっ。どーしてこンな胡散臭いヤツが、先生の好みなのかねぇ」
 こんなに佳い女が側にいるってぇのに、と。
 おぎんは業とらしく品を作る。
「雌狐の化かし技なンざ、先生ェにゃ通じねぇんだよ」
 フフンッ、と又市に鼻先で笑われて、おぎんのボルテージは一気にレッドゾーンっ
 ただし大学の(神聖な百介の、とかぎ括弧に強調点付きな)研究室、雪崩でも起こしそうな資料の山の中で、暴れるには危険過ぎる。
 だから二人して、舌戦口論闘わせている訳だが。
「先生ェ、最近フェロモンを垂れ流し過ぎるってンだよっ」
「ンだよ、そりゃ
 又さんのせいだっ、と詰るおぎんの言葉に、聞き捨てならねぇ、と引っ掛かる又市。
「論より証拠、外をご覧な」
 言われて、資料が重なり積み上がる隙間の、申し訳程度に見えるサッシ窓から、又市が外を見てみると。
「先生ェ、この資料の選択はどぅでしょうか」
「次のレポート課題の為に教えて下さァい」
「山岡先生ェ、先程の講義のポイントで」
 男性女性の混成集団に囲まれながら、百介が笑顔で受け答えをしている姿。
「………」
 ギリリと、窓枠を握る又市の手に力が籠る。
「判ったかい?先生ェ、受講生達に大人気なんだよ」
「知ってらぁ」
 背後から溜め息混じりのおぎんの声に、又市が返せたのは力無く掠れた声。
 知っている…百介がどんなに魅力的かは、又市はとても良く知っているのだ。
「だからさぁ、先生ェに関しては例え又さんが相手だろうと、妾ァ一切手加減はしないよぅ」
 おぎんは、百介を『婿取りする』のだと、再会した当初から又市に宣戦布告している。
 相手にとって不足なしっ積年の恨み、こんどこそ果たさん。
 ふんっ、と鼻息荒く言い切るおぎんに、又市は苦く笑う。
「やる気満々じゃねーか」
 勝負は端から付いてるがな。
 いつもなら、自信満々人を喰ったような冷笑すら浮かべて、又市はそう言っただろう。
 実際、そう言い掛けたところで、ふいに口を閉じてしまった、又市。
「…先生ェに求められて…満たされてンのに、不満だっつーのは馬鹿な証拠だな」
「又さんが馬鹿なのは、先刻承知の助だよぅ」
 男の見栄張りなんざ、屁のつっかえにもなりゃしないさね。
 手厳しく称して、おぎんは背を向けたままの又市に、幾分か寂し気な声を掛けた。
「判ってンなら、しっかりおしよ。浮かれてないで、先生ェのことォ守っておくれよぅ」
 恋が適った百介は、周りの者から見たら、きらきらと輝くアンティークジュエリーのようだ。
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