狩猟2(リクエスト)

□又百百題
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《090―許して》


 あの、天火の仕掛けの後。
 又市は、一文字屋の奥座敷で百介と再会した。
 呆気に取られる、とは、多分あんな表情を指すんだろうな、と。
 又市は人を喰ったような笑みを口許に浮かべながら、そう思った。
 宙に張り付いたような白い面。
 ポカンと目の前の現実を見詰めながら、まるで狐か狸にでも化かされたような、信じられぬ、と見開かれていく黒い瞳。

 さあ。
 泣くか喚くか、怒るか詰るか。
 又市が内心、刑場に引き出された罪人(仕掛けた内容が内容だけに)の思いで、百介の次の行動に身構えた。

 御行の又市が死んだ、と。
 そう思わせる必要があった、とはいえ、百介には『あれは贋物』と教えておけば済む話。
 それを。
『こんなに……窶れちまって…』
 こんなにも、この人の善い男を、追い詰めてしまった。

 死んだもの、としてしまえば、存外アッサリと己の事なんぞは忘れてくれるだろう。
 そしたら、ヒョッコリ足のある手前を見せて、慌てる姿を見るのも面白い。
 なんて、又市は高を括って居たのだ。
余りにも。
 あまりにも、軽率に。
 “小股潜り”ともあろうものが!!
 この御人の心内を、推し量り損なったっ!!
 感情が、抜け落ちた表情のまま。
 百介は、此の度の仕掛けの全貌を知らされ、代官夫婦と小右衛門とが別室に引き上げた後も。
 ただ。只ただ、タダ……
 百介は、呆然とした表情のまま。
「先生ェ」
 済みやせんでした。
 頭を深々と下げた又市に、虚ろな視線を向けた儘。
 ボツり、と。
 百介は再度、口に出した。

「……御無事で、良かった……」

 言の葉を巧みに操り、舌先三寸で人の心を手玉に取るのが商売の“小股潜り”が。
 ズブの素人と言うべき真っ当な御人の、たった一言に。
 胸を、抉られた。
 深々と。

 あぁ……痛ぇな……。
 又市の“死”を見せ付けられた百介の、あれからの感情の全て。
 惑い、疑い、怒り、憾み、絶望、謝罪。
 そして哀しみ、悲しみ、カナシミ―――
 ああ、痛い、悼い。
 堪え難い哀傷が、又市にも漸く伝わった。

 如何に、山岡百介という御仁を嘗めて、闇の仕掛けに拘わらせていたか。
 何故に、百介から見た己の価値というものを低く見過ぎていたか。
 又市は、思い知らされた気がした。

「先生、奴を赦しちゃくれやせんか」
「いいえ」
 即座に上がる、百介の否定の声。
 又市は、百介の側まで膝でにじり寄り手を伸ばそうとして。
 目的は果たせず、宙で拳を握り込んだ。
「先生を謀ったのは、一から十まで、この小股潜りが仕掛けたこと」
 謝って済む事じゃありやせんが、どうか許しておくんなさい。
「いいえ」
 頭を振った百介は、虚ろに表情に初めて色彩を乗せた。
 困った様な、戸惑った様な、曖昧な笑み。
「許すも何も、貴方は何も許せないような事を私にした訳では無いでしょう?」
 ただ、又市さんは“仕掛け”た。
 ただ私は、その仕掛けに組み込まれた“傍観者”の役処だっただけ。
 私が、勝手に『貴方を喪った』と哀しんで、勝手に悔いて、勝手に嘆いていただけ、なのでしょう。
「又市さんが、御無事で良かった。又市さんが生きていてくれて、本当に嬉しいんです」
 ただ……私は、もう……生きている貴方の側には、居られない。

「ですから、そいつぁ奴が――」
「いいえっ、違いますっ!!」
 又市の言葉を、途中で強く遮り、百介は顔を背けた。
「又市さんが、死んだなんて……又市さんは生きていると信じられなかった」
 又市さんは生きている筈だと、そう最後まで信じることが出来なかった私は、なんと心弱い男でしょうか。
 私は、無様な情けない男です。
 又市さんの仕掛けに組んで貰える資格すら、有りません!!
「先生っ!?」
 又市はそれ以上は聞いて居られなくなり、声を荒げて呼べば、ビクリっと百介の肩が大きく揺れた。
「先生ェ……。先生を、そう思い込ませるように仕組んだなぁ、この罰当たりな小股潜りで御座い」
 そんな的外れな自虐趣味は止しなせぇ。
 先生の憾み辛みは、全部が、奴のせいで御座いやすよぅ。
「又市さんは、悪くないです」
「いいや、こンな性悪な悪党なんでやすよ、奴はァ」
 百介さんを、こんなに泣かせちまったァ。
 又市に顔を指差され、百介は漸く、酷く頬を濡らして己が泣いている事に気が付いた。
「ま、た、いちさ、っ……っ」
 堰を切った様に、嗚咽が漏れる。
 口を両手で塞いでも、泣き声は止まらない。
 肩を震わせて、その場に泣き崩れる百介に、又市はどうして良いかも判らなくなった。
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