狩猟2(リクエスト)

□御行花言葉、七つのお題
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《温かい気持ち》


 時に、苛つく。
 その………
 誰彼区別無く向けられる、柔らかな心に。



「あの、又市さん」
 遠慮がちな呼び掛け。
 真っ当な、とはとても言えない人別外の小悪党に、気遣いを見せる態度。
 一見気弱な言動は、『どう言ったら(どうしたら)相手に迷惑を掛けないか』に、心配る証拠。
 江戸は京橋の大路に店を構える蝋燭問屋の若隠居・山岡百介は、自らを『能楽者の穀潰し、役立たずの意気地無し』と蔑んで。
 むしろ、世間様から後ろ指さされる又市達を『羨ましい』と憧憬や尊敬の眼差しで見詰めて来る。
「私が……何も知らな過ぎるのでしょう」
 寂しそうに、『人として、何かが欠けている』と、この若隠居は言うのだ。
 何故だ?
 戯作者志望が、そんなに恥ずべき事だろうか?
 商才が無いからと、大店そっくり番頭夫婦に譲ってしまう、己が情けなく感じているのか?
 喰うや喰わずのカツカツな生き方しかない者には、それは驕りとしか見えない。
 賢い百介は、それを良く心得ていて、ただ真摯に語られる言葉に耳を澄ます。
 辛さも、哀しさも、怒りも嘆きも、全てその者が感じる心。
 他人には推し量ることすら、困難だろう。
「でも、聞くことは出来ます。何もお役に立てませんし、何の力添えにもならないでしょうけれど」
 その人の心を、理解出来なくても、知る事は出来る筈だ、と。

 勘に障る。
 酷く、気にいらない。
 彼が、そこまで世間に遠慮する事は無い。
 ましてや、この自分にまでも。
「先生ェ、言いてぇことがあるンなら」
 すっきり吐き出したら良ぅ御座ンしょうに。
 先程から、又市に話し掛けようとはしているのだが、百介は遠慮してるのか、それ以上は寄って来ない。
 仕掛け仕事を終えて、今回の仕組みを明かしてみせれば、百介は自分が痛みを受けた様に眼を瞑り細く息を吐いた。
「どう言ったら良いかも、判らなくて……」
 人の理、世の常、何処か一つが空回っただけで、人々は容易く狂気に走る。
 それを間近に見た彼は、真っ当に罪を怒り、真っ正直に喪い壊れていった人共を嘆き、素直に泣くのだ。
 何故?
 そこまで?
 所詮は赤のスッ他人だろうに。
 又市は、苛つく想いに眼を伏せた。
 百介が哀しむ必要は無い。
 何もない。
 だが、柔らかな感性は素直に正直に、心の悼みを共振させる。
「先生ェ……」
「哀しそうで……辛いです」
「………」

 百介の、男にしては細めの肩に両手を掛け、胸に引き寄せた又市は、こちらを見上げる潤んだ目許に息を詰めた。

「……貴方が……」

 貴方が、哀しそうにしていらっしゃるから、私も辛くなるのです。
 欠陥だらけの私では、ろくな人生経験すら積んでいない私では、貴方の辛さを知ることは出来ても―――
『共に、理解することは、恐らく出来ないだろうから』

 だから。
 辛い、と。

 顎に指を掛けて、百介の顔を上向かせれば、綺麗な玻璃のような涙が目尻から零れて、一筋頬を濡らしていた。
「先生が、ンな事ォ考える必要はありやせんぜ」
 奴は、そんな上等なヤツじゃありやせんから、放って置いて下せぇ。
 業と軽い口調で宥めても、百介の憂いを帯びた眼差しは変わらず、又市を見詰めて。
 ポロポロ、と。
 零れて伝う涙は、まるで慈雨のように、又市の白帷子に吸込まれていく。
 又市は、商売道具の言葉を封じられた気がして、ただ黙って百介を抱き締めた。
 暖かな、温かなぬくもり。
 この腕の中に、確かに存る。
 何者にも替え難い存在を。
「温っけぇな」
 呟いて、又市は百介の総髪に顔を埋めた。




-END-
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