狩猟2(リクエスト)
□キリバン31000リクエスト
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ずだ・だ・だっ、だんっ!!!
互いに踏み締めた板敷きが、嫌な音を立てた。
相手からの反撃くらって、頬骨が痛み軋む。
そのまま、凄まじい形相で双方とも相手の衿を掴み締め上げ、目茶苦茶に殴り合う。
縺れ合い、勢いのまま土間に転がり落ちた。
上になり下になり、殴り蹴り、凄まじい喧嘩騒ぎに店の者が、仲裁に割って入ることも出来ない。
ご注進が飛んで行ったか、店の主・一文字狸が奥からスっ飛んで来て、これまた滅多にせぬ怒号を梁をビリビリいわせる勢いで土間に響かせた。
「何してんのやっアホ餓鬼共っ」
ハッ、と振り上げた腕を宙に止めた又市に、組み敷かれた林蔵が悲鳴のように怒号を発した。
「こン……ドアホぉっっ、先生ェ殺す気ィやったんかいっっ!」
≡≡≡≡≡≡≡≡
弥勒三千の小股潜りが、真っ当な素っ堅気にゾッコン惚れ込んどる。
そう告げてから、巨体を揺するように笑い声をあげて「ありゃア、大した御方やで」と玉泉坊が漏らした相手の名は。
山岡百介―――。
「男やないか?」
「せやけど、可愛ゆ〜いお方やで。又さんやないけど、なんやもぅ、見てると構い倒したァなるわぃ」
林蔵の事前情報など、この程度。
小股潜りの又市に、なにやら肩入れする程の大切な人が現れた、と聞き『ないない、在る訳がない』と即座に笑って否定してのけた。
だけど―――。
林蔵は、深く息を吐き切って、空を見上げた。
これが多分、巷で云う『あてられる』、ということなのだろう。
屋根が傾ぐような廃寺の、その門前の石段に林蔵が座り込んでから、かれこれ半刻。
「堪らんわ…」
菩薩を見た。
林蔵は再び深く息を吸い、大きく吐き出す。
寺だから、仏像は在るのが当たり前。
しかし、ここは、小悪党仲間の玉泉坊が棲み家にしている廃寺である。
とっくの昔に、御仏の有り難い像など、どっかに売り飛ばされているのがオチだ。
おまけに今現在は、主の玉泉坊を追い出して、代わりに胡散臭い御行振りがデンッと御堂に腰を据えている有様だ。
だから、林蔵が見たものは、単なる目の錯覚。
ありもしない幻。
それなのに…。
林蔵は、俄かには信じられない物を見たのだ。
誰か他人の傍で、熟睡する小股潜りの姿を。
しかも、まあ。
「堪らんわなぁ…」
眠る又市に膝枕を貸してやり、口元に柔らかな微笑を浮かべ、そっと寝顔を見詰めてる御人が。
靄船の林蔵をして、溜息つかせるような、そんな顔だったのだ。
慈母観音…かくありや…
江戸の堅気人。野暮と自ら名乗る、戯作者希望の御人善し。
そして小股潜りの手中の珠にして、最強の切り札…考物の山岡百介。
「反則やわ…」
見返りや打算などを一切含まぬ、慈愛のみが篭る労りと優しさが、その眼差しに溢れていた。
『愛しや、愛しや』と。
眠る小股潜りを見守るその顔が、優しく肩を抱くその手が、言葉よりも雄弁に百介の気持ちを表していた。
林蔵は、百介と又市の姿を見て、声を掛けることもせずに、ソロソロと石段まで後退りして戻り、そのまま座り込んでしまった訳だ。
『…惚れたァ〜』
あの優しい眼差し。穏やかな微笑。他人を一途に想うひたむきさ。
林蔵の萌えツボに、ど真ん中である。
「昔っっから、ああなんや、あの男っ」
義兄弟の縁もある小股潜りを罵り倒し、林蔵は再び溜息をついた。
「エエなぁ…百介はん…メッチャ惚れるわ…」
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「は?仕掛けに、先生を?」
アホなことォ言わんときィな。
即座に否定した林蔵に、又市は行者包みの頭を揺らし、『大ェ丈夫だ』と請け負った。
「アホか又市!あの女ァ、オノレもワイの事も、よぅく知っとるで。騙せる筈ないやろが」
「だから、先生、だ」
あの女…絶対にこっちの仕掛けに嵌まるぜ。
やけに自信持って、又市はそぅ断言する。
それは、小悪党にはあるまじき『信頼』という感情に強く裏打ちされていて、林蔵は胸の中で舌打ちをした。
「…判った。この仕掛け、先生に噛んで貰うわ」
無理だろうと、疑って掛かる林蔵に、又市はふと視線を泳がせ、低く告げた。
「スカシじゃ無ぇよ。林蔵、見とけ…怖ぇぞ…あの先生は」
何が怖いものか?
腕っぷしも武芸の一つも持たぬ、ひ弱な町衆の堅気が。
林蔵は、そう思っていた。