絵本百物語(辞典)

44件

【赤えいの魚 (あかえいのうお)】
《後巷説1》“あかゑいのうを”この魚その身の尺三里に余れり。
背に砂たまればをとさんと海上にうかべり。
其時船人嶋なりと思ひ舟を寄れば水底にしずめり。
然る時は浪あらくして船是が為に破らる。
大海に多し。

巷説の中でも一二を争う、腐女子萌えな原作である。
密室で恐怖に追詰められた心理状態な百介と、助けに来た又市。
ありゃ依頼云々よりかは、百介を案じて追って来た、と見ると更に萌えが増す。
ちなみに、この場面で二人が出来たか、既に関係が出来ていたかは、好みの別れる所である。

【小豆洗 (あずきあらい)】
“あづきあらひ”《巷説1》山寺の小僧、
谷川に行てあづきを洗ひ居たりしを、
同宿の坊主意趣ありて谷川へつき落しけるが、
岩にうたれて死したり。
それよりして彼小僧の霊魂、
おりおり出て小豆をあらひ泣つ笑ひつなす事になんありし。


巷説百物語、最初の話。
百介の話し方や、又市への呼び掛けが固い固い
礼生的には《講談百物語》の百介が、好きだなぁ。あの、真っ当そうでいて真っ黒な肝ってのが“闇宗主”に繋がるネタな訳。

【磯撫 (いそなで)】
“いそなで”西海におほく有。
其かたち鱶(魚亶)魚のごとく
尾をあげて船人をなで引込てくらふとぞ。

ジンベイザメか?いや巨大なシャチだ、とか。いずれにせよUMAの類い。
恐竜時代の巨大鮫科の生き残り、だと嬉しいのだが。

【於菊虫 (おきくむし)】
“おきくむし”皿屋敷のことは
犬うつ童だも知れゝばこゝにいはず。

アゲバチョウ科の異常繁殖のことと思われ。
紐で括られ後ろ手に吊された姿を形取る蛹、となると…その前の幼虫時代には回りの餌となる樹木は、さながら桜に群がる毛虫のような有様だったのでは
某マンガでは「一枚〜二枚〜」と瓦を重ね、「十枚割ーっ」と正拳で見事に砕き割り、振り向いた可憐な少女が「一枚多い〜」とニタリ笑む……そんな新説お菊さんが好き

【鬼熊 (おにくま)】
第三十四“おにくま”(木曽では年を経た熊を「おにくま」という。夜更けに民間に出現し、牛馬を引き出して喰らうが、人のように立って歩む、とも)
画には馬を担いだ熊(月の輪熊らしき)があるが、馬や牛を担ぐなんて北海道のヒグマでないかい、と突っ込みたくなるトコロ。
某マンガにて“赤カブト”なる凶暴なヒグマが津軽海峡を渡って本州に来たという設定あり。
事実、有り得ない話ではない
ましてや人が容易に山には入れなかった昔であれば、さぞや巨大化した熊もいただろう(うっとり
そんな熊は、おそらく人が退治など簡単には出来なかったのではないだろうか。それこそ、伝説の鬼として語られる程に。

【累 (かさね)】
“かさね”かさねが死霊のことは世の人の知るところ也。
親の因果が子に報い、な怪談です。
舞台となった鬼怒川は確かに実在し、江戸版エクソシストをしたお坊様の寺も実在します。
出来れば書物ではなく、高座の語りで背筋を寒くしていただくのがベスト。
稲川某よりも、伝統と洗練され続けてきた話芸という芸術を楽しむのが粋ってモンじゃァありませんか。
(怖くて中座したことは内緒済みませんっ師匠っ、怖過ぎます

【鍛冶が媼 (かじがばば)】
“かじがばゝ”土佐国野根と云処に鍛冶屋ありしが、
女房を狼の食殺しのり移りて
飛石といふ所にて人をとりくらひしといふ。

狼が群れとなって執念深く狩りをする、という所からきた話かも。
狼は怖い悪役が振られますが、神の遣いとしての一面もあります。
ニホンオオカミはとうの昔に絶滅している、といわれますが、生き残ってて欲しいなぁ。
ちなみにニホンオオカミの標本(剥製)は全世界でも十頭分にも満たない、貴重なものとなってます。
狼カンバーック

【風の神 (かぜのかみ)】
《後巷説6》“かぜのかみ”風にのりて所々をありき人を見れば
口より黄なるかぜを吹かくる。
其かぜにあたればかならず疫傷寒をわづらふ事とぞ。

巷説ファン腐女子の間では、このラストに号泣する者が多発したとか(かく申す小生も、その一人
こういうラストの描き方は原作者の、実に腐女子心をくすぐる、憎い演出である。
一白翁は、あれはあれでさぞかし幸せだったのだろう、と。念願の百物語の最後に、待ち望んだ“風の神”が来てくれたと、さぞや安らいだ気持ちで目を閉じられたか、と想像すると(泣)。
まだ原作を読んでない方は、ダッシュだ

【帷子辻 (かたびらがつじ)】
“かたびらかつじ”《巷説7》檀林皇后の御尊骸を捨し故にや、
今も折ふしごとに女の死がい見へて、
犬烏などのくらふさまの見ゆるとぞ、
いぶかしき事になん。

この由来の絵巻物は、余りに有名です。
小型複写版は、上野の博物館でも土産物として販売されていた程。
しかし、人が死んで腐敗していく経過レポートなんて…法医学じゃないんだから絵巻にしようとした根性に脱帽
イザナギとイザナミの二神を持ち出すまでもなく、生と死を正面から取り合った神話は全世界共通のもの。
広島にある比婆山の熊野神社の、本奥宮こそがイザナミの御陵と神話に伝えられているそうです。
脱線、日本のUMA“ヒバゴン”はこの山峰が発生源。

【桂男 (かつらおとこ)】
“かつらをとこ”月をながく見いり居れば
桂おとこのまねきて
命ちゞむるよし、
むかしよりいひつたふ。


月に桂の木あり、という伝説から。
満月を見ていると気が触れる、という謂れもあるようですが、ある程度バイオリズムが月の満ち欠けに左右されるのは自然界において当然のことらしい。
月の神は日本の神話では男神であります。その月神が食い物のことで、姉の日神と喧嘩になったという話もあるから、恐らく生死に拘る秘めた奉りをされていたのでは、と想像。
ちなみに桂の木の昔話でも、生死が曖昧な怖い伝説が残されています。

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