絵本百物語(辞典)

【か】 6件

【累 (かさね)】
“かさね”かさねが死霊のことは世の人の知るところ也。
親の因果が子に報い、な怪談です。
舞台となった鬼怒川は確かに実在し、江戸版エクソシストをしたお坊様の寺も実在します。
出来れば書物ではなく、高座の語りで背筋を寒くしていただくのがベスト。
稲川某よりも、伝統と洗練され続けてきた話芸という芸術を楽しむのが粋ってモンじゃァありませんか。
(怖くて中座したことは内緒済みませんっ師匠っ、怖過ぎます


【鍛冶が媼 (かじがばば)】
“かじがばゝ”土佐国野根と云処に鍛冶屋ありしが、
女房を狼の食殺しのり移りて
飛石といふ所にて人をとりくらひしといふ。

狼が群れとなって執念深く狩りをする、という所からきた話かも。
狼は怖い悪役が振られますが、神の遣いとしての一面もあります。
ニホンオオカミはとうの昔に絶滅している、といわれますが、生き残ってて欲しいなぁ。
ちなみにニホンオオカミの標本(剥製)は全世界でも十頭分にも満たない、貴重なものとなってます。
狼カンバーック


【風の神 (かぜのかみ)】
《後巷説6》“かぜのかみ”風にのりて所々をありき人を見れば
口より黄なるかぜを吹かくる。
其かぜにあたればかならず疫傷寒をわづらふ事とぞ。

巷説ファン腐女子の間では、このラストに号泣する者が多発したとか(かく申す小生も、その一人
こういうラストの描き方は原作者の、実に腐女子心をくすぐる、憎い演出である。
一白翁は、あれはあれでさぞかし幸せだったのだろう、と。念願の百物語の最後に、待ち望んだ“風の神”が来てくれたと、さぞや安らいだ気持ちで目を閉じられたか、と想像すると(泣)。
まだ原作を読んでない方は、ダッシュだ


【帷子辻 (かたびらがつじ)】
“かたびらかつじ”《巷説7》檀林皇后の御尊骸を捨し故にや、
今も折ふしごとに女の死がい見へて、
犬烏などのくらふさまの見ゆるとぞ、
いぶかしき事になん。

この由来の絵巻物は、余りに有名です。
小型複写版は、上野の博物館でも土産物として販売されていた程。
しかし、人が死んで腐敗していく経過レポートなんて…法医学じゃないんだから絵巻にしようとした根性に脱帽
イザナギとイザナミの二神を持ち出すまでもなく、生と死を正面から取り合った神話は全世界共通のもの。
広島にある比婆山の熊野神社の、本奥宮こそがイザナミの御陵と神話に伝えられているそうです。
脱線、日本のUMA“ヒバゴン”はこの山峰が発生源。


【桂男 (かつらおとこ)】
“かつらをとこ”月をながく見いり居れば
桂おとこのまねきて
命ちゞむるよし、
むかしよりいひつたふ。


月に桂の木あり、という伝説から。
満月を見ていると気が触れる、という謂れもあるようですが、ある程度バイオリズムが月の満ち欠けに左右されるのは自然界において当然のことらしい。
月の神は日本の神話では男神であります。その月神が食い物のことで、姉の日神と喧嘩になったという話もあるから、恐らく生死に拘る秘めた奉りをされていたのでは、と想像。
ちなみに桂の木の昔話でも、生死が曖昧な怖い伝説が残されています。


【かみなり (かみなり)】
《前巷説4》“かみなり”(雷電:神鳴りを使う)(下野の国は筑波(常陸の国)の辺りに雷獣という獣、山中にあり。夕立雲の起こらんとする時、勢い猛々しく空中へ駈けるが、その勢いは当たるべからざるもの、という)
御燈の小右衛門、登場。好きです、天狗のおぃちゃん又市よりも余程に冥府魔道に墜ちたような、凄いヤツ。
ちなみに、雷獣はちゃんと実在する獣です。(ホンドテンだと言われていますが、ハクビシンやアナグマとも混同されている箇所あり)
木の洞に住家を作る習性ので、雷落ちた後にこの獣が死んでいるのが多かった為に、雷と一緒に落ちる、とされたのでは?
ホンドテンの山の渾名は“天丸”、名前からして可愛いヤツ
ハクビシンは帰化動物とされてますが、割と歴史は古くて意見の別れる所。誰が連れて来たのやら。



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