たえとの短編集☆

□彼の場合 Bar『Harf/Moon』シリーズ
1ページ/3ページ

 この青い丸薬を飲めば、すぐにケリがつく。

 長い苦しみの年月から解放され、永遠の眠りにつけるというのに、俺は手の上に乗っている最後のその一粒を飲めずにいた。

残された三粒のうちの二粒を、さきほど幼いふたりの弟妹たちにやり、安らぎの国への旅路につくのをそっと見守ってやったばかりだった。

「これなぁに?」

「ブルーベリィーのキャンディーさ。」

「とってもきれいな色ね。」

「そうだな。寝る前だけど今日は特別にやるよ、さぁ、柩に戻るんだ。」

 そう言って、幼い二人を寝床へ連れていき、その小さな口に一つずつ含ませてやった。

「僕たちが眠るまで側にいてよ。」

「目が覚めたらキスしてね。」

「あぁ、いいとも。さぁ、おやすみ……。」


俺がそう言ってやると、二人は安心して、そのあどけない両眼を閉じた。

そして、数分もしないうちに静かな寝息をたてはじめた。

次に二人が目覚めるのはここではなく、永遠の安らぎの国なのだとは知りもしないままに。

☆☆☆

 俺の一族は、人間で言うところの”血吸い人”つまり吸血一族だった。

その名の通り、人の生き血を吸わなければ生きてゆけない、苦しみの一族だ。

生ける屍の俺達が、子孫を残すことは不可能に近かっ。だが、先祖の誰かが魔女と結婚したために、この呪われた家系が誕生してしまった。

 そして、三代前の嫁の(祖母にあたる)魔女が、俺達をこの苦しみから救い出す画期的な薬を発明したのだ。

それは最強度の睡眠薬だった。

 俺達は、人の生き血を吸わずに長時間いると、太陽の光にさらされたのと同じように、やはり灰になって消滅してしまう。

我々の血液の中には、人の完璧なそれの中にある成分のうちの、生命を維持するのに必要な何かが、ひとつ欠けているためらしい。

 この丸薬を飲めば、もう生き血を求めて苦しみ歩かなくても済むし、先祖の過ちを神に許してもらうべく祈りながら永遠の眠りにつけるのである。

身が自然に全消滅しても、いつかその魂が報われる日がくることを信じながら……。

 最初に祖父祖母が飲み。父母が親戚に配り、屋敷の地下にはかなりの柩が集まった。

だれも、このチャンスを拒んで苦しみ生き続けようと思う者はいなかった。

幼い弟妹たちはまだ生き延びる事もできたが、そうしたところで何の得になっただろう。これ以上の苦しみを彼らに知って欲しくなかったし、罪を重ねて欲しくもなかった。

だから俺は、決心して薬を飲ませたのだ。

こうして俺は、一族最後の一人となった。俺が一息にこれを飲んで眠りにつけば、この世から吸血鬼に襲われるという恐怖は完全に無くなる。

 しかし、俺にはどうしてもこの運命を素直に受け入れられない理由が一つあるのだ。

☆☆☆

 一人でこの屋敷にいるのが、いよいよ耐えられなくなってきて、俺は外へ出ることにした。

今夜は細糸月だ。なんにしろ光というものは、とにかく少ない方がいい。
あてもなくあちこちと歩き回ってみる。

 昔の先祖は、一日でも人間の生き血を摂取しないと消滅していたようだが、魔女や妖精の血が混じったせいで、純度が薄まったらしく、俺は三日ぐらい人のそれを取り入れなくても平気だった。

昼間も曇りの日なら出歩けた。俺は昔から人間が好きだったから、自分の体のもつ限りは襲いたくなかった。
だから、いつも体に限界が来るまでは、野バトや野良猫なんかの血で生命をつないでいた。

弟や妹はもっと平気らしく、人の血が必要なのは一か月に一度程度で、それも親や俺の獲物の血を小さな盃で一杯程度わけてやるだけでよかった。

もとは一族で一つの古い城に住み着いていたのだが、俺の親の代から祖父母を古城に残して、みな散りぢりになってしまった。

俺の親も人が嫌いではなかったので、この屋敷に越して来てからは近所の人間とも普通につき合って暮らしていた。

☆☆☆

 いくらか考え込んで歩いているうちに、ふと顔を上げると、路地裏のおくに、小さなバーの看板があった。

「half-moon」という名前らしい文字が、ネオンライトの飾り付けから見て取れた。俺は何となく、そこへ寄ってみることにした。

☆☆☆

カラン、カランカラン……ラン……。

「いらっしゃいませ。」

 店に入ってみるなり、俺は少しギョッとした。

なかはほの暗く、主人の声でカウンターに目をやると、その後ろには水族館によくあるような、大きな水槽があった。

一瞬ガラス張りの壁かと思ったが、水が七分目くらいまで満たされていたのでそれと気付いた。

だが、驚いたのはその中にいるモノの方だった。そこで泳いでいた(座っていた?)のは、人魚だったのだ。


「お兄ちゃん、そこでぼうっと立ってないでさ、座ったら?」

 なんでこんなところで子どもの声が……。と思ったら主人の斜め前の席に、真っ白な髪に赤い帯を締めた、白い着物の男の子が座っていた。

頭の上には、キツネみたいなとんがり耳が、着物の裾からはふさふさした麦色のしっぽが飛び出していた。

そして、その隣には仔猫くらいしかない大きさの、もさもさ頭の女の子が、椅子の上に背伸びして立って、テーブルの上の色とりどりのラムネをむさぼるように食べていた。


カウンターの主人がそっと口を開いた。


「どうぞお座り下さい。何にいたしましょうか。」

全くなんだここは、とつぶやいてからあっけにとられていた俺に、全く平然らしい口調で主人が声をかけてきた。

「仮装パーティーでもしていた様な雰囲気だが。変わった店だな。」

「そうですか?みなさん普段のままですよ。ここはちょっと特別な方しか出入りできない店なんです。あなたのようにね。」

それまでうつむいて話していた主人 が顔を上げたので目があった。

黒い髪の下に深海のような紺色と、エメラルドのような深緑色の、色違いの瞳があった。

俺がヴァンパイア・ハーフだということを確かに見抜いている。
他の客もみな変わっているし、それぞれ変なモノを注文しているようだったので、俺は遠慮しないことにした。

「なにか動物の血はあるか。あればそいつを赤ワインで割ってくれ。」

「かしこまりました。純血種の白鳥の血がございますので、それに致しましょう。」

「ほう、珍しいのがあるんだな。」

「なにかとこだわりのあるお客様が多いので。」

「お兄サン、少しだけならあたしの血を分けてあげてもいいわよ?」

水槽の上から人魚のカウンター嬢が顔を出して、そう言った。

「特別サービスよ。あたしの血なんて、人間たちが必死になって探し回るほど珍しいのよ?まぁ、お兄サンには不老不死なんて、あんまり必要じゃあなさそうだけど。」

「いいのかい、シェリー?」

主人が少し驚いたようにして振り向く。

「いいのよ、ちょっとだけなんだから。」

そう言って人差し指をちょっと噛み、深紅の血を二、三滴ほど主人の持つ銀色のシェイカーにたらした。

彼は、そこにもう一つの赤い液体を入れ、赤紫のワインと透明な炭酸水を少し加えて振り、一杯のカクテルにして俺の前に置いた。

「ブラッディー・ルビーとでも名付けましょうか。当店オリジナルです、どうぞ。」

そのカクテルは濃厚で香り高い血の味と快いソーダの刺激があり、いつもの野鳩や野良猫の血とは格段に違う。人間のそれともまたどこか違う、高貴な感じがする口当たりだった。

古い森の奥にある、澄んだ水をたたえた美しい湖の風景が一瞬、脳裏を横切った。

「あたしのお味はどうかしら?」

「美味いよ、どこかの古い湖が頭にうかんだ。」

「あら、それきっとあたしの故郷だわ。聞いた?マスター。」

すると主人はそれまでは見せなかったほどに、優しく愛しげな微笑みを彼女に向けた。

そのせいか、あたりの空気もきゅうに和らいだような感じがした。

「ご名答。原材料の全てが、彼女の故郷のものですよ。白鳥も、炭酸水も天然の湖水、赤ワインも周辺の野ブドウを摘んできて、私が造ったものでしてね。彼女もそこの湖出身なんです。」

そういって主人と人魚嬢はお互いにウインクをかわしてみせた。

「あなたなかなか見る目があるのね。」

水槽のふちに頬づえをついて人魚嬢は俺に言う。

「お姉ちゃん、火遊びも程々にしないと、焼き魚になっちゃうよ。」

横に座っていた狐耳の坊主がそういった。

「あーら、言うわね。いいのよ、その時はマスターに残さず全部食べてもらうんだから。ねぇ、マスター?」

「参りましたね、まったく貴女という人は……。」

こんな風に和んだ店に入るのは久しぶりだった。恋人らしい二人を見ていると、あの人のことがとても気になってきた。

そう、俺の最愛の人、レニーのことだ。彼女は今どういているのだろう。

☆☆☆

 「何か心配ごとでも?」

 しばらく沈んでいたらしい俺に、主人が話しかけてきた。
別に他人に話すつもりはなかったのに、なぜかその時は誰かに聞いてもらいたい気がして、俺はついに彼女のことを打ちあけることにした。

「恋人がいるんだが、彼女は人間なんだ……。」

「それでその方はあなたが人ではないことを…?」

「いや、まだ知らせていない。だが彼女の目の前で、いちど発作を起こしたことがあるんだ。彼女はなにかの病気だと思っているようなんだが。」

 俺はいつも、限界ギリギリまで人間を襲おうとはしなっかたので、時々禁断症状のような発作を起こした。
息苦しくなって、体の震えが止まらなくなり、体温が異常な速度で低下していく。ひどい時には立ってもいられなくなる。

昔、医者をしている伯父が屋敷に来た日にも、やはりそういう状態だったのだが、危ない所だったと、親に叱られたことがあった。

あのまま数十分放っておいたら、即座に灰土に還っていただろう、と。

彼女であるレニーの前で発作をお起こした時には、一瞬彼女のうなじに唇を寄せそうになった。

しかし、彼女が涙をこぼしながらアヒルの血をグラスに差しだしてくれるたび、俺は理性の力で踏みとどまった。

この地方では、アヒルの血は万病に効くとして、人間も飲んでいたので、俺は何も疑われることなく彼女からその”薬”を飲むことができた。

発作は、それで一時的にはしのげたが、少し良くなるといつも彼女の家から離れて、酒場や港、ごろつきの集まるカジノなんかを排回して吸血してまわった。

俺達一家は人間ひとりの血を、致死量のギリギリ一杯まで吸い尽くすのがモットーだったので、この周辺の町では血を抜かれた変死体が夜昼と見つかったが、人がヴァンパイアになって蘇ってくることはなかった。

それに、善良な一般の市民は相当のことがない限り、俺達は襲ったりしなかった。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ