短編小説

□夏の桜の下で
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「はぁ……」
「また溜め息ついた」
「誰のせいだよ、ったく」


濡れティッシュを一枚取り出して、一哉の顔にあてる。


「んっ」
「じっとして。上手く拭けないでしょ」


一哉が意識してるのかは分からないけど、ここは道路であって公共の場。人の目だってある。
公衆の面前でこうゆうことをするのは、かなり恥ずかしい。

その恥ずかしさからくる微かな怒りをこめて、ぐいぐいときつめに汗を拭う。
それくらいの権利、あたしにだってあるはずだ。


「ふふっ」
「何がおかしいの?」
「周りから見たらさ、俺たち、すっごいラブラブなバカップルに見えるんだろうね」


いきなり笑いだした一哉に理由を訊くと、幸せそうな笑顔で言われた。
頬が熱を帯びるのが分かった。


「……ばか」
「祐希ひどいっ!でも、そんな祐希も大好き!」
「煩い黙ればか」


ふざけたように抱き着いてくる一哉を引き離して、先に歩き出す。
待ってよー、と追いかけてくる一哉を無視して早足で歩く。
きっと、今のあたしの顔は真っ赤だから見られたくない。


「祐希、待ってよ。怒っちゃった?だったらゴメン、ふざけすぎた」
「違うもん」


顔を覗き込もうとする一哉に、見せまいと顔を逸らした。

すると、何かを思案するように顎に手をあて、ハッ、とこちらを見つめた。
……このタイミングで見つめないでほしい。
物凄い恥ずかしい。


「……祐希、もしかして照れてるの?」
「……だったら悪い?」


的を射た言葉に、ふてくされ気味に答える。


「ううん、可愛い」


やわらかい優しい笑顔で、さらりと口説き文句を紡ぐ。
いつもとはまた違う、あったかい気持ちが込み上げてきた。
何だろう、いつもよりあったかくて優しい。


「……やっぱり、お前ばかだ」
「そっかぁ、じゃあ、今までのも全部照れ隠しだったのか」


うんうんと一人で頷いている一哉を見るていると、あったかくて優しい気持ちが膨らむみたいに感じる。
そして、何となく、一哉の手を握った。
自分のより大きなそれは、ゴツゴツしていて、キュ、と握ると握り返してくれた。


「ねぇ、一哉」
「んー、何?」
「大好き」


いつものあたしなら、言わないセリフ。少なくとも、こうゆう場所では言わない。
不思議と、恥ずかしさや照れは無かった。


「俺も」


たった一言。
その一言がとても嬉しかった。


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