その他

□天誅
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時計の針の音と、ペンの走る音のみが響く静かな室内。
開けたままの窓から入るそよ風。
それと共に外の空気の匂いが鼻を擽る。
手にしていたペンを一旦机に置くと、腕を伸ばして背を退け反らす。


「ん、うーっ」


声を上げた後に腕の力を抜き、だらりと降ろす。
溜め息を吐きながら眼鏡をずり上げ、目の前の書類の束を睨むように見つめた。


「・・・はぁー」


何度目か分からない溜め息を吐いた時だった。
静かな室内に遠慮がちなノック音が響いた。
音の後に聞こえたのは、ギルドメンバーであるにゃん太の声。


「シロエち、いいですかにゃ?」

「うん。大丈夫だよ」


シロエと呼ばれた青年は、扉に向かって返答した。
扉は静かに開かれ、長身の猫の姿をした男性が現れる。
シロエと目が合うと優しく微笑み、手にしている丸形のトレイを少し上に持ち上げた。
トレイには湯気を立たせている紅茶と生チョコが乗っている。
にゃん太はシロエの元へ歩み寄ると、レストランの従業員のような身振りで紅茶とチョコが乗った皿を机に置いた。


「ありがとう、班長」

「いいえ、今日も徹夜ですかにゃ?」


紅茶を啜るシロエを見つめた後に、彼を囲む書類の山に視線を移し、片目を瞑る。
にゃん太の声色から、心配している事が伺え、シロエは苦笑を零す。


「まぁ、この世界の事や大地人、そして元の世界へ戻る方法・・・」


コップをそっと皿の上に戻し、生チョコを一粒頬張る。


「調べる事が山程あるからね」


言った後すぐに羽ペンを再度手に取り、ペンを走らせる。
その姿ににゃん太は小さく鼻から息を吐いた。
不意に窓に目をやる。
外はもう真っ暗で、空には星が沢山輝いている。


「開けたままですと、風邪をひきますにゃ」


言いながら窓を締める。
もうすぐで肌寒くなってくる季節だ。
夜遅くに窓を開けたままでは、いくらレベル90の身体でも、風邪を引いてしまうだろう。


「ごめん、ありがとう」


書類から目を離さず、にゃん太に礼を言う。
真剣な眼差しで一枚の紙を睨み、別の紙を手にする。
そして頭を抱え、暫し間を置いてまたペンを走らせる。
こうして見ていると、シロエの表情がコロコロ変わり、面白い。
時折上げる呻き声も可愛い、とにゃん太は思っていた。
数十分経った後、シロエは紅茶を少し飲んだ後に、にゃん太がまだ自室に滞在していた事にやっと気付いた。
顔を上げた途端に笑みを浮かべて、こちらを見つめているにゃん太が目に入り、今までずっと見られていた事を悟る。
瞬時にシロエの頬に熱が溜まる。


「は、班長・・・?」

「にゃ?」

「その・・・もど、らないの?」


別ににゃん太が居ても邪魔ではないのだが、こうもずっと見られていては流石に恥ずかしい。
シロエの質問に、少し思案した後にゃん太は笑顔のまま頷いた。


「な、なんで?」

「我輩がいると邪魔ですかにゃ?」

「別に邪魔じゃないけど・・・」


困る。
と言おうとして、口を閉じる。

困るとは何に?
自分は一体何故こんなに動揺している?

シロエは気持ちを落ち着かせる為、残り少ない紅茶を全部飲み干すと、紙にペンを走らせた。
まだにゃん太の視線を感じるが、気にしないようにした。
だが、数時間もしない内にシロエの手が小さく震え出した。
やはり集中出来ないし、何故だか恥ずかしい。
アカツキにも同じように、こうして書類と格闘中に見詰められることはよくあるが、それとはまた、何かが違う。
よく分からないが、兎に角恥ずかしい。


「は、班長っ・・・!」

「にゃ?」


紙から目を離さず、にゃん太を見ないようにして話し掛ける。


「その、そんな見られると恥ずかしい・・・んだけど」

「でしょうにゃー」

「なっ!?」


にゃん太の返答に、弾けたように顔を上げる。
分かってて見つめていたのか。
何故そんな事をするのか、何がしたいのか。
いろんな疑問が、シロエの頭の中を瞬時に渦巻く。
しかし、にゃん太に疑問をぶつけようとした口は開かなかった。
今まで無理に目の前の書類に集中していた為、にゃん太の接近に気付かなかった。
流石猫人族、と言ったところか。
いつの間にかにゃん太は、シロエの真横に立っていた。
しかも目の前に、至近距離ににゃん太の顔がある。


「――っ!?」


思わず息を呑む。
反射的に身体を後退らせようとするが、にゃん太の方が速かった。
素早くシロエの手首を掴むと、舌を出し顔を近付けた。


「え、ちょっ!?」


唇にざらりとした、猫独特の舌の感触がする。
直ぐに離れたにゃん太の顔を、目を丸くしたまま見つめる。
滅多に見せないシロエの呆けた表情に、にゃん太は手を口元へ持って行き、小さく笑う。
シロエは我に返ると、未だ感触が残っている唇に手を持っていく。
そして数秒後。


「っ!!」


耳まで一瞬にして真っ赤に染め上がった。
シロエの反応に、にゃん太は満足そうに微笑み、舌を少し出しながら言った。


「いつも無理して我輩達に心配を掛けてる罰ですにゃ」

「は、班長!!」


真っ赤になった顔のまま、にゃん太を見上げる。
にゃん太は笑いながら踵を返すと、扉へ向かった。
ドアノブへ手を掛けた所で、シロエに肩越しに振り向く。


「後で紅茶のおかわりを持って来ますにゃ」


それだけ言った後に何事も無かったかのように、にゃん太は出て行った。
再び静かになった自室。
シロエは暫くの間唖然としていたが、やがて顔を片手で覆うと溜め息を吐きながら俯いた。
胸が大きく高鳴り、動悸が収まらない。
顔が熱い。
瞳を閉じれば、にゃん太に唇を舐められた瞬間が頭の中で何度も映像化され、繰り返し再生される。

「〜〜っ!!」


勢いよく頭を左右に振り、シロエは天井を見上げた。


「・・・明日から徹夜は控えよう・・・」


小さく呟いた後、シロエは深呼吸し書類に目を遠し、研究を再開した。



後日、班長の思惑通りシロエの徹夜は減ったのだった。



end.

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