★金色のコルダ3・SS【1】★
□【 Take me again 】
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「はあ……」
夏の夜風に、溜め息が溶けた。
実りの季節が近づき、赤茶けてきた向日葵の前に立ち、吐き出した分と同じだけの空気をゆっくり吸い、ゆっくり吐いたが、その胸のわだかまりが晴れることはなかった。
「……明日は大事な日なのに……」
微かに呟いたその時、
「小日向、眠れないのかい?」
音も立てず、いつの間にか後ろに立っていた親友が、いつものように飄々とした声で語りかけてきた。
「ニア……」
驚いたかなでが振り返ると、親友はフッと口端を持ち上げて微笑した。
「そんな君に差し入れだ」
彼女が差し出したのは、一杯のカモミールティー。そして……。
【 Take me again 】
しばらくニアと星を眺めて語らった後、部屋に戻ったかなでは、ベッドに身を沈めながら、先ほどカモミールティーと一緒に渡されたものをもう一度眺めていた。
それは、写真だった。
「いつの間に撮られたんだろう……」
ニアは笑いながら言っていた。
「今のところこれが、この夏のベストショットだ」
……と。
四角く切り取られた景色。
その中心に映っていたのは、かなで……そして、氷渡貴史だった。
セミファイナルの何日か前、山下公園で練習に付き合って貰った時のものだろう。
こうして写真を眺めていると、その時の会話まで鮮やかに蘇ってくる。
「そういえば私、氷渡くんのチェロの音聞くの初めてなんだよね」
「……初めて、って、聞いてなかったのか? 東日本大会の演奏」
「……えーっと……その、ちょっと遅刻を……ごめん、ね?」
「……あ、そう」
「……あーあ、氷渡くんが拗ねちゃった」
「拗ねてない」
「拗ねてるじゃん」
「あぁ、もう、うるさい。練習するならとっとと準備しろ」
「はーい」
半分喧嘩みたいなやりとりをしていた気がするのに、2人とも何て生き生きした楽しげな顔で写っているのだろう。
思えば、あの事件から、氷渡と最後に会った花火の夜まで、わずか一週間あまり。短い、あまりにも短い時間。
その短い時間の中で、小日向かなでは、東金千秋をさえも驚かせる大輪の花を咲かせる1stヴァイオリンになった。
その短い時間の中で、氷渡貴史は、激しいまでの失意から立ち直り、一から自分の音楽と向き合うことができた。
その短い時間の中で……恋は、始まったのだ。
いつからそうだったのか、何がきっかけだったのか、それはわからないが、今かなでは確かに恋をしている。
まだ伝えてはいないけれど。
明日の戦いが終われば、氷渡に会える。
天音学園と全力で戦い、勝って、胸を張って会いに行く。
そう決意した途端、不思議と心が穏やかになった。
あるいは、カモミールティーが効いてきたのかもしれない。
「ありがとう……ニア」
かなでは、親友がくれたかけがえのない「差し入れ」を枕元に置き、部屋の灯りを、消した。
そして幕を開けた、最後の舞台。
星奏学院と天音学園は、お互いの持てる力全てを尽くし、戦い、決着をつけた。
栄光の銀のトロフィー。
それを手にしたのは……星奏学院、だった。
押し寄せる波のように、いつまでも収まることのない喝采。
ステージ上で、勝利の微笑みを浮かべ、仲間たちと喜びを分かち合うかなでの姿を、氷渡は半ば放心状態で眺めていた。
様々な感情が、まるでプリズムのように乱反射している。
自校の「仲間」がベストを尽くしながら、惜しくも優勝を逃したことに対する悔しさ。
ずっと、自分にとって世界の中心……いや、「すべて」だった「冥加玲士」が敗北したことへの驚愕。
今日この会場に集まった全ての人間の記憶に生涯刻まれるであろう、2校のステージに対する感嘆。
出来ることなら自分も、あのステージに立っていたかったという、抑えられない羨望。
そして。
太陽のように眩しく輝く、1人の少女へと絶えずあふれ出す思慕。
だが。
道端に転がる小石には、太陽は、あまりにも遠すぎる。
遠い、高いところで、数多の星々に愛され、守られているあの輝き。
その光がこの短い夏、一時でも自分を照らしてくれていた……それだけで満足しなければ。