ぜろ部屋

□じゅんびだいじに
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霊体化したまま追従するランサーを連れての帰り道。
真冬の冷え切った空気が肌をぴりぴりと刺激する。口元のマフラーを巻き直して、一安心。


「……あの」


澪はそれまで尋ね損ねていた疑問を口にすることにした。それは澪にとって優先順位が低かったせいもあれば、ランサーが口に出してもいなかったせいでもある。


「ランサーさんは聖杯に何を願うつもりか、聞いてもいい?」


聖杯によって召還された英霊には、それぞれ聖杯に叶えて欲しい願望があるからこちらの招きに応じるのだとウェイバーが言っていた。ならば、ランサーにも聖杯に希う願望があってしかるべきだ。
澪の中にある願い事はとてもちっぽけで利己欲に塗れ、かと言って自分で叶えることもできない厄介なシロモノである。

しかも、その肝心要の願望自体もそれほど切迫して求めているワケでもない。もしもウェイバーと自分の望みとを秤に掛けられた場合、澪は迷いもせずにウェイバーを取るだろう。
澪の中で重要度が甚だ低い事項だったために、ランサーに聞くのも忘れていたのだった。

喚び出した者の責任として、彼の願いは聞かなければならない。たとえそれが自分とランサーとの決裂を起こしたとしても、だ。それに、もし自分にもできることがあるならしてあげたいと思う。

しかし、そんなうっかりを発動していた澪にもランサーの返答は意外なものだった。


『聖杯など、求めはしません』


霊体化しているランサーの声が頭に響く。
しかも、まったく意図の範疇から外れた言葉が。


「……え、そうなの?」

『はい』


頷くような気配に澪は思わず首を巡らせてしまった。ランサーの声音には、ただあるがままの事実を口にしているという真摯な響きがあった。
嘘の気配は感じられない。

澪にしか聞こえない言葉が、耳の奥で木霊する。


『褒賞など必要ありません。俺は、ただ今生の主たる召還者に忠誠を尽くし、騎士としての名誉を全うすることが望みの全てです』


ランサーの一人称が『俺』になっているのは、澪が自分の敬語を外す対価として望んだことだった。年上に畏まられるのは、得意じゃない。
澪はランサーの文言の中の一点を聞き咎め、小さく反芻した。


「召還者、に?」

『ええ。ですから貴女の御許に、必ずや聖杯を』


そんな決意も新たなランサーの言になぜだか澪は不機嫌そうに眉をしかめて立ち止まり、ランサーを現界させた。
光の粒子が人間の姿を形作り、やがては美貌の偉丈夫の姿となる。先日一緒に買ったテーラードジャケットに細身のズボンという当世風の服に身を包んだランサーは、何故現界させられたのか分からないらしく戸惑い気味だった。

身長差から自然、ランサーは澪を見下ろすかたちになる。まさかこんな道端で膝を折るわけにもいかない。

ランサーの前に立った澪はうつむき加減のままぽつりと呟く。


「ごめん、ランサーさん」

「……主?」


どことなく思い詰めたような様子で澪の口から紡がれた言葉はあまりにも突拍子がないものの、確実にランサーの心を打擲する一撃だった。


「僕、ちょっとだけあなたのこと、きらい」




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