□MM
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しばらくして、柳生が持ってきたのは真白い箱だった。冷蔵庫を開閉する音がしたから、おそらく生物だろう。

「はい、仁王くん。少し早いですけど、お誕生日おめでとうございます」
「え…。あ、聞いてて…、」

そう言えば、柳生が"本体"だと言っていたカプセルに、誕生日だと言った気がする。柳生はぜんぶ、聞いていたのだ。まるで幼い少女にあげるみたいに可愛らしい苺のホールケーキは、チョコプレートが乗せられていた。ろうそくの炎が揺れる合間に「におうくん おめでとう」の文字が踊る。こんな風に祝われるのなんて何年ぶりか勘定すら出来ないほどに久しぶりのことで、胸の奥がじんと熱くなった。

「ありがと。柳生、ありがと。うれしい」
「いいんですよ。これでわたしも安心して消えられる」
「消え、る?」
「はい、仁王くんがお薬を飲んだら、わたしも消えるんです」

どうやら、俺が薬を飲んだら、柳生は消えてしまうらしい。話の展開は当然のように分からないが、柳生の存在自体が意味不明なのだから、今更何を言われようとも納得することが出来た。考えてみれば確かに、俺が薬を飲む=薬が消化される=柳生の"本体"が消える、ことになるわけだから、柳生の言い分は正しいわけだし。
おもばゆそうにしながら俺の謝礼を聞いていた柳生だったが、すぐに再び困ったような笑顔を浮かべる。そんな顔をしながら俺に早く薬を飲めだなんて、本当に説得力がないと思った。
柳生は、きっと消えたくないんだと思った。そして、俺も、消えて欲しくなかった。
柳生と知り合ってからほんの数時間しか経っていないのに、まるでそれは幾重にも積み重なったベールのように感じられた。柳生のことは正直よく分からないし、自分がどうしたいのかも分からない。でも、確かに。

「消えんで」
「だめです。仁王くんの風邪を治すのがわたしの仕事なんですから」
「やだ」
「仁王くん…、」
「柳生、すき。すきじゃ、じゃけ、消えんで。お願い。さみしい」

すがり付いた柳生からは、病院の香りがした。つんと鼻に染みて、心まで痛くなる。俺の肩を掴む柳生の腕が、僅かながら震える。それでもなお、柳生は優しくて、だからこそ、残酷だった。
柳生の右手が頬に添えられて、いつの間にか零れた涙を拭う。それと同時進行で、眼前に柳生の顔が迫っていた。真っ直ぐな視線にいぬかれて、胸がつきんと音を立てる。ゆるりと閉じた瞼は、柳生に魔法をかけられたみたいだった。

「わたしも、好きでした」

過去形で紡いだ柳生を詰める前に、その愛しい人に唇を塞がれる。柔らかな触れ合いが緩く続く、と、そう思ったのに。強引に割りさかれた唇の隙間から柳生の舌が割り込んで来て、奥の方までやってくる。押し倒されるように真上にのし掛かられて、意思に反して飲み込まされたのは、柳生の舌が運んで来た、オレンジと白のカプセルだった。送り込まれる柳生の唾液だけえんかしたいのに、無情にも、つるりと喉を滑り落ちたカプセルに、俺は悲鳴をあげるしかなかった。

「や、ぎゅう!おまえっ!」
「さよなら、仁王くん。楽しかった」
「ほたえなやっ!」

悲しげにうっすら微笑んだ柳生は、しゅわっと、まるで炭酸みたいな音を残してあっさりと消えてしまった。抱き締めていた温度も、感触も、ぜんぶぜんぶ。
瞬間、喪失感に身体が震える。消えて、しまった。心にぽっかりと穴が空いたような感覚をまざまざと刻み付けられながら、視線は曖昧に部屋を辿る。柳生は、どこに行ったんだ?
不意にテーブルから小さな音がしたと思ったら、そこには風邪薬の箱がひっそりと置かれていた。まるで、誰かにかまって欲しいと言うように。俺は寂しさに滲んだほんの少しの涙を右手で拭って、テーブルの上のそれに手を伸ばした。

「出てきんしゃい!」
「……仁王くんは、まったくもう。せっかく格好よく消えたのに」
「やぎゅう!」

掌中に握りしめた新しいカプセルから、ぽわん!と舞い出た柳生は、それはそれは嬉しそうな顔をしていた。そうして「ただいま」なんて言うもんだから、俺は柳生の首に腕を巻き付けて、きゅうと抱き付いてやるのだ。もう、消えさせたりなんてしない。柳生が消えるくらいなら、俺はいつまでも風邪っぴきのままでいい。だ、なんて。


非日常は突然やって来て、こんなにも愛しい。柳生の口付けを全身に受けながら食べたケーキは、とんでもなく甘かった。




end
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