□疑惑
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階段からぱすぱす、と少し乾いたような、それでいて気の抜けたような規則正しい音が聞こえて、持ち主のいないベッドの上に寝そべったまま俺はひっそりと笑みを作った。同時に小さく陶器が当たるような音も聞こえる。大方ケーキと紅茶なんかを出してくれるつもりに違いない。柳生のうちに遊びに来るといつもそうだ。おばさんにいらっしゃいと声を掛けられたあと、柳生の栗色をそのままそっくり移して、それでも、柳生よりうんと小さくてうんと可愛らしい柳生の妹と少しだけ遊んで。洗面所できちんと手を洗ってから柳生の部屋に上がる。俺が先に部屋に行って、柳生があとから何かしらのおやつ(おばさんはお菓子作りが趣味らしい)を持ってきてくれるのだ。柳生の匂いのする枕に顔を埋めたまま、少しばかり雑に聞こえるスリッパの音に耳を澄ます。両手でトレイを持っているから、どうやら足元のことはあまり気に掛けることができないらしい。可愛いなあ、と思った。

「仁王くん、開けてもらえませんか。手が塞がっていて」
「うん?開けて欲しい?」
「ええ、とっても」
「仕方ないのう」

柳生の声にがばりと身を起こすと、ベッドの傍に履き捨てたスリッパは履かないまま、ぺたぺたと足音を立てながらドアまで寄る。左手でドアノブを掴んで、額をドアにくっつけると、壁の向こうの柳生を感じているような気がした。
甘えていると言われれば、否定出来ないと思う。久しぶりにゆっくり取れた二人きりの時間だし、期待の10倍くらいの優しさで柳生は俺を甘やかすから。思わず、我儘を言ってしまう。空いた右手をドアに触れさせて、額を擦り付けるように動かした。すると、扉の向こうでこつんと音がする。

「やぎゅう?」
「はい。開けて下さい」

柳生の声は先程よりもぐっと近づいていた。冷たいはずの木の扉の向こうで、柳生が同じように額をくっつけているのが感じられる。じんわりと、甘い感情が胸の内に広がる気がした。そういう風に優しくするから、俺は途端に恥ずかしくなって余計にドアを開けにくくくなるということを、柳生は知っているのだろうか。つまり、自分で仕掛けた罠に自分から突っ込んでいっているというわけで。決して嬉しいことではないはずなのに、何故か悪い気はしなかった。

「ふふん、仕方ないのう。開けてしんぜよう」
「ありがとうございます」

嫌々やっているという風を装って、鼻を鳴らしながらドアノブを回す。意図してゆったりと回転させた左手は、自分の気持ちを高ぶらせるのに十分だった。殊更緩くかちゃり、と音を立てた蝶番はまるで焦らすかのように空気を揺らす。柳生が入りやすいように身を引いて、ドアを大きく開いた。本当は柳生のうちに着いたときから触れたくて抱き締めたくて仕方なかったのを隠すように柳生から距離を取って、元いたベッドの上へと戻る。真っ直ぐ背筋を伸ばした柳生は、それでも、カップやらケトルやらを気にして足元が覚束ない。可愛いなあ、と思う。手伝おうかとも思ったが、俺なんかが手を出すより柳生が全てをやった方がまとまりがいいのは知っていた。それよりも、もう。まるで何か本当に愛しいものに触れるように陶器のカップ(おそらくウン十万円)を扱う、綺麗な両の指に釘づけで。ややもすれば、何故俺をかまうより紅茶の準備を先にするのかと言い掛かりをつけたいくらいだった。とにかく、甘えたかった、柳生というその存在に。

「そんな目で見たらだめでしょう?我慢して、すぐに終わりますから」
「早ようせい、あほう」

厄介なことに、紳士は何でもお見通しだったりする。









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