□WIMPs
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彼、仁王雅治は何とも臆病な人間であった。人間関係そのものをかなぐり捨てたいと口にしたことが何度あったことだろうか。其れ程までに、彼は、己に向けられる情に関して、殊の外敏感であったのだ。それは酷く脆く弱いものであって、同時に自分以外の全てを拒絶していた。
私が仁王くんと友人として付き合うようになってから(一方的な友情だったかもしれないが)、気付いたことがある。彼、仁王雅治の心の中には、どうやら何かしらの入れ物があるようだった。それはもしかしたら湯呑みのように容量が少ないものかもしれないし、不思議な形状をしたジョーロのようなものかもしれない。はたまた池や海のような広いものでないとも言いきれない。とにかく、何か、液体を溜め得るものがあるような気がしたのだ。尤私は、きっと美しい彼、仁王くんのことだから、とても美しい硝子の入れ物があるに違いないと踏んでいるのだが。
彼の心にある入れ物とは、つまり彼が周囲から受け取る情が次々と流し込まれる場所を指す。例えば、愛情、友情、そういったプラスの情を彼に向ければ、入れ物の中へと液体が注がれる。例えば、憎悪、嫌悪、そういったマイナスの情を彼に向ければ、中へ注がれていた液体はじゅうじゅうと音を立てながら蒸発する。この入れ物は彼の付き合う人数分が用意されていて、どのような情を誰から受け取ったのかが随時正確に記憶され、液体として蓄積される。そしてその液体の分量を物差しとして、彼は人に対する対応を決定するのだった。端的に言えばこのようなものだが、この仕組みは仁王雅治の心の中で深く作用しているのだ。

私を例に上げてみよう。
私が彼と初めて出会ったのは、寒い寒い冬の、服装検査の日だった。風紀委員である私は、生徒の登校を校門で待ち受けるのが仕事である。早朝から校門前に立たされ、生徒から反感を買うような仕事をする風紀委員を物好きだの何だのと揶揄する輩もいたが、私はこの仕事を誇りに思っていたし、人の鏡になることを出来るのはとても名誉なことだと信じていた。気だるそうに校門を通る生徒は、摘発されたくないのか(何てったって風紀委員には鬼の真田弦一郎がいる)一応制服を校則通りに着ている。無論私に言わせれば、その首元に結ばれたネクタイは歪みきっていて、だらしないのだけれど。
そんなネクタイやリボンを眺めながら、私は些かの退屈を感じていた。校則違反者は元から少ないのに加え、相方である真田のやる気は尋常ではないので、どうにも仕事がないのだ。手持ち無沙汰になり何となく校門を眺めると、校門の遥か遠くで、何やらキラキラと光るものがある。それはゆっくりとだがこちらへ近付いてきており、目を凝らすと人であるということが認識出来た。嗚呼、カルチャーショックとはこういう事か。のらりくらりと歩いてくる男の頭髪は真白に色が抜かれており、肩に掛かる長さであろう長い襟足は、桃色をしたゴムで器用にもちょんと括られていた。彼が歩くたびその毛の束が緩く左右へ揺れ動くので、何だか動物の尻尾のようだ。一気に視線を奪った彼の頭部からゆっくりと下に目を移すと、何とまぁ、そこにも多大なカルチャーショック、カルチャーショック、カルチャーショック。まず第一にジャケットのボタンを全開にしているのが間違いだし、中に羽織っているカーディガンは指定のものから大きく逸れたミルクティーの色をしていた。カッターシャツのボタンを三つも開け、ネクタイは最早ただ首にぶら下がっているだけだと言った方が正しいだろう。チェック柄のスラックスは腰骨より大分下に固定され、そこには奇抜なベルトが巻かれていた。ぽかんと、馬鹿みたいに口を開いたままの私は、端から見たら不審者に違いないだろう。開いた口が塞がらないとはこのことだ。ただ呆然と見つめていると、いつの間にか彼は校門を通過しようとするところだった。慌てて引き留めながら真田の方へ目をやるが、真田は真田で赤髪の少年をひっ捕まえて説教しているようで、どうやらこの少年に対する職務質問は私がしなければならないらしい。










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