OR

□エアーライン
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相も変わらずにただっ広い空間は、決して居心地が良いとは言えない。清潔感のある壁や椅子、明るく近未来的な外観に、千歳千里は疲れたような溜め息を溢した。人為の極みのようなこの空間は、どうしても好きになれない。不自然なほどに綺麗で、温かみがまるで感じられないからだ。美しい木目調をした自宅のベッドが一気に恋しくなる。あぁ、家に帰りたい。

「ふらふらすんな」

まるで吹き抜けのように高い天井を仰ぎ見ながら惰性に従って歩いていくと、突然あらぬ方向から腕を引かれた。勢い余って、そのまま腕を引いた橘とぶつかってしまう。油断しきっていた千歳は、その長身の全体重を橘に傾けてしまって、そのことで橘までもがふらりと重心を失う。慌てたように体勢をたち直そうとする千歳と、ぎりぎりで踏みとどまった橘の意図は噛み合わなくて、結局また傾くことになってしまった。
その様子を眺める人々はまるで傍観者で、誰一人としてくすりとも笑わない。そのものが存在しないかのように振る舞うのだ。

「そっちゃ違う航空会社たい」
「あぁ、ほんなこつ」

眼前に迫るアルファベットでイカしたロゴマークは、確かに自分が持っている航空券のそれとはだいぶ異なっているような気がした(しかし、色味は似ている)。千歳は小さくそう言葉を発して、ずかずかと進んでいく橘の後を大人しく追う。こっちで正しいのかは知らなかったが、何となく、そう、何となく何とかなる気がした。だってここは日本だ、そしてこのターミナルは国内線専用だ。最大級に間違いを犯したとして、真逆に飛ばされたとしても、行く先はせいぜい北海道。別に死にはしないのだから、そう、気楽に捉える。

「何ば考えよっと」
「飛行機、いっちょんすかんなぁ、って」

導かれるままに保安検査の門を潜り抜け、あっという間に搭乗口まで引っ張って来られる。ここで正解だ、熊本行きという文字が見えた。搭乗開始時刻まで時間があるからと腰を下ろした椅子は、やはり消毒液の香りがして、鼻の奥がつんと痛くなった。並んで座った橘から質問を受けると、千歳はいつもより低いトーンで返事をする。回りの空気や雰囲気に毒されるタイプの人間では決してなかったが、どうにもこうにも疲れが表面化して隠しようがなかった。帰郷を目前にした今この時でさえ、どんよりとした気持ちが晴れない。熊本を出て大阪に住み着いたとき、それはそれは熊本の綺麗な水と並々続く山脈が恋しくてたまらなく感じたわけだが、そうこうしているうちに大阪の人情溢れる世界に馴染んでいけたというのに。東京ばかりは、どうしても安心する場所を見付けられない。全員が他人で、無慈悲で、脱け殻みたいだからだ。落ち着ける場所なんて。

「きっぺーん隣だけばいね」
「何がや?」
「だけん落ち着ける場所て言いよったい」

椅子に深く腰掛けたまま、千歳は頭を橘の方へ傾けた。身長の差はそのまま座高の差へと変化し、無理矢理に倒した首が悲鳴をあげたが、変わらぬ温度を直に感じて、少しだけ気分が晴れたような感じがする。普段通りの温もりが、この非日常の中では何よりも安心感を与えてくれた。















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