OR

□ふじや
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あんまり麗らかな昼下がりのリビングで、いけないいけないと思いつつも周助は微睡む。腰掛けた一人がけのソファは、昔よく裕太と取り合ったものだ。争う相手がいなくなった今は、父が帰ってくるとき以外ほとんど自分しか使わない。そのことに淋しさを感じなくなったのは、ごくごく最近のことだ。半ばその仕事を投げ出した左の耳に階段を下りる音が聞こえたかと思えば、ドアを開けて由美子が顔を出す。中途半端に閉じた瞼を無理矢理に開いて、周助は「もうすぐだね」と言った。その台詞に、由美子はまるで花が咲くように笑う。キッチンでは母がケーキと紅茶の準備をしながら、鼻歌を歌っていた。
その歌声を背中に聞きながら、周助はソファから立ち上がり、軽い足取りで玄関へ向かう。先ほど最寄り駅に着いたと連絡があったから、きっと、もうすぐ。愛しい愛しい弟が我が家へ帰ってくる。

「ただいまー」
「おかえり!裕太!」
「ったくわざわざ毎回玄関まで迎えに来んなよなぁ、兄貴」
「いいじゃない。おかえり」
「はいはい、ただいま」

がちゃりと無遠慮に開かれた玄関の向こうに、待ち侘びた弟の照れ臭そうな笑顔があった。毎回の出迎えに居心地悪そうな表情をして、それなのにとても嬉しそうに笑うのだ。その表情を見るたび、周助は幼い頃の裕太を思い出す。いつも周助の後ろにひっついて、追っ掛けて、それでも追い付けなくて、悔しがっていた可愛い弟の姿を。

「おかえり、裕太」
「おかえりなさい」
「おう、ただいま」

周助と裕太がリビングに行くころには、もうすっかりティータイムの準備が整っている。今日の紅茶は由美子が占いで選んだアールグレイだ。直産地から取り寄せた質のいい茶葉は、本当にいい色をだす。そして香りも、何にも代え難いくらいに心地よく鼻腔をくすぐるのだった。
各々が自分の定位置につきながら、不二家のリビングによりいっそう温かな雰囲気が流れる。裕太が聖ルドルフ学院に入学して1年以上が経つとはいえ、末っ子がいなくなってしまうというのは残された家族にとっては非常に大きな変化だった。外資系の仕事をしている父が家にいることはあまりないし、周助も学校や部活で頻繁に家を空ける。特に母や由美子にとっては、息子と弟が揃うこの場がとても貴重なものであった。

「おお、このケーキうまそう!」
「よかった、僕が選んだんだ」
「さすが兄貴!センスいいな!」
「ありがとう、裕太」
「じゃあほら、食べましょう」

息子たちの微笑ましい光景を眺めながら、母はそう促す。その瞬間にケーキを口いっぱいに頬張る息子たちのなんと可愛らしいことか。そう思う母の胸中に本人たちはまったく気付いていないのだから、余計に愛おしい。
裕太の近況などを聞き、他愛のない話をしながら、ゆるりゆるりと平安の時を過ごす。時折聞こえる表の子どもの声が、その温もりをいっそう柔らかなものにしているようだった。

「裕太、ますます父さんに似てきたよね」
「周助もそう思う?わたしも思ってたの!」
「あー?そっかー?自分じゃわかんねぇよ」

周助の一言に、裕太がなんとも言えない表情をする。姉と兄からたびたびそう言われてきたが、中学2年生の裕太にしてみれば、正直、父に似ていると言われても嬉しくなかったりする。父と似ていることを誇らしく思うには、まだ少し若すぎるのだ。それなのに最近、姉と兄はますますその言葉を言うようになった。裕太が鏡を見ればそこには裕太自身しかいないわけで、父を重ねたなんてことは一度たりともなかった。しかし由美子と周助の継続的な刷り込みによって、裕太はなんとなく、自らに父の面影を探すようにまでなっている。

「ぼくは母さん似だからね」
「わたしは父さん似よね」
「3人とも、お父さんにもお母さんにもよーく似ているわ」

母がくすくすと笑いながら漏らしたその台詞に、子どもたちは揃って噴き出す。それもそうだと、思った。外見ばかりなら自分たちは両親のどちらに似ているか一目瞭然だが、その性格たるや父と母の見事な混合である。周助の辛党は父親ゆずり、裕太の甘党は母親ゆずりだ。由美子の占い好きも、周助の天才肌も、裕太の努力家の一面も、父と母と、それから祖父と祖母と、そのもっと先の不二の血筋から受け継いだものであるのだから。

「早くお父さん帰ってこないかしらね」
「帰ってきたら晩飯だな!」
「今ケーキ食べたじゃない」
「う、うっせー姉貴!」
「父さんに会うのが楽しみなんだよね、裕太は」
「兄貴もうるせーよ!」

さして多くない父の早い帰宅がちょうど裕太の帰省とかぶるなんて、本当に滅多にないことだ。できる限り家族との時間を持とうとする父はそれでもやはり多忙で、思い出せる彼は常にかっちりとしたスーツを身に纏っていた。周助は、そんな父を心の底から尊敬している。もちろん母もだ。こんなに素晴らしい家庭を築き、姉と弟を与えてくれた。それだけで、周助は自分の何もかもが恵まれていると思うことが出来た。この暖かい家族に囲まれている時が、周助にとって最も安らぐ時である。
むぐむぐと口を動かしながら眉根を寄せる裕太を見やり、囀るような由美子の声を聞きながら、周助は母の淹れた紅茶を飲み、父を思うのであった。










end

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