B

□ロマンス
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相手にしたって仕方がないということは分かっていた。俺も分かっているし、あいつも分かっているし、みんなもたぶん分かっている。分かっていないのは、あの子だけ。でもそのあの子に俺は誰よりも分かって欲しくて、少し、苦しい。

放課後、さあ部活だとテニスバッグを担いでコートを目指す。俺のクラスはコートから一番遠くて時間がかかるから、気持ちだけ早足だ。春の陽気の心地よい午後4時、隣をすり抜けて行く教室に人は疎らだ。それぞれのクラスのテニス部の面々はもうすでにいない。彼らはテニスが好きで、テニスに生きている。負けちゃいらんねーな、と思ったところで、あれ、と思った。横目でちらりとだけ確認した3年B組。そこにはブン太がいた。窓際に立ち尽くしたまま、校庭を見下ろしている様子だ。こちらからは背中しか見えない。窓は空いている。風が、昨日切ったばかりの髪を揺らす。絶対嫌だと言い張るブン太をどうにかこうにか宥めて俺が入れた鋏のせいで、まるで俺のプレイスタイルのように荒々しく、ぴょこんと跳ねる毛先になった。いつもよりワックスを多めにつけたせいで、今日のブン太はぶどうの香り3割増しだ。流行りのイケメンが広告塔になった、流行りのそれ。乱雑に詰め込まれたテニスバッグの中にきっと、転がっている。「てめージャッカルやってくれたな!」不揃いになってしまった前髪をわしゃわしゃとかき乱しながら睨んでくる。そしてその一瞬あと、彼は堪えきれないというように笑った。「も、最高。さんきゅな」隠しきれないはにかみが滲む。語尾がへへ、と歪んで、揺れる。付き合ってからもう1年以上が経つのに、そんな仕草で、俺をどうにかしようとする。そんな、表情で、声で。

「ブン太?」
「おージャッカルー」

くるりと振り返ったブン太は、驚く様子もなかった。でも同時に、俺のことを待っていた風でもなかった。ああ、失敗してしまったかなと思った。抱え込む癖のあるブン太は、とにかく抱え込ませないと本音を出さない。抱え込んで抱え込んで耐えられなくなったところでようやく俺の出番となるのだ。そうならなければ、俺はいらない。彼の中のキャパシティは案外大きくて、ほとんど1人で解決してしまうから。俺は呼ばれたら行って、呼ばれなかったら行かないで、ただ、そこに在る。それが、ブン太の求めていることだ。
風がふわっと入ってきて、またぶどうの匂いがした。昼休みあたりに追加したのかもしれない。そんなに下手くそだったかな、ごめんな。

「先行くぞ」
「おう」

クラス替えをしたばかり、まだ馴染んでもいないその教室で、ブン太はまた窓から校庭を眺めた。ガムは、噛んでいなかった。
ここにこれ以上いても仕方がないから、俺はブン太に背を向けて教室を後にする。もやもやとしたものがまったく残らないと言えば嘘になるが、「どうかしたか」と声を掛けたところで「なんでもない」しか返って来ないことは分かりきっていた。そうなれば、それこそ余計にもやもやしてしまう。どうせ、またすぐ、彼は元気になる。俺になんにも伝えずに勝手に解決して、ひとりで強く立ち続ける。そのことに不満があるわけではない。男だから分かる、自分の現状に文句を言う男のなんと見苦しいことか。そんな暇があったら前に進む。それが彼だし、それが俺だから。恋人である以前に友人として、当然の振る舞いだ。

「なあ、」

再び掛けられた声に、俺は一瞬反応出来なかった。ブン太の声だと理解する前に二歩ほど進んでしまってから、ようやく止まって振り返る。ブン太はこちらを見ていた。こちらを見ながら、ゆったりと進んでくる。
珍しい。抱え込んで抱え込んでどうしもうもなくなったひとりの可愛い恋人の姿、それを最後に見たのはいつだろうか。真っ直ぐ両手を伸ばしてくるその愛しさに、俺は思いっきりその身体を抱き込んだ。間近になった体温は、いつも通りに気持ちがいい。強烈なぶどうのその奥に、ブン太の香りがした。彼の家の匂いに限りなく近くて、それでも違う。彼のふたりの兄弟に限りなく近くて、それでも違う。ブン太の香り。
きゅう、と回された腕は、確かに縋っていた。

「15歳になっちまうんだ、俺」

甘やかな声が胸元から聞こえる。幾分くぐもった様子で、それでも響いて。
俺は真意を図り兼ねて黙る。今日は4月15日で、ああ、そうだな、あと5日でお前は15歳になる。テニス部の他の誰より早く、15歳になってしまう。まだ13歳の赤也となんて、ふたつも離れてしまう。それでどうにかなるわけでもないと思ったけれど、きっとこの感覚はブン太にしか分からない。他の多くの3年生がまだ14歳の中、ひとり、15歳になる。一の位を四捨五入すれば、20歳だ。あと3年もすれば車の免許だってとれるし、ああ、そうだ、結婚も出来てしまう。大きな大きな、節目の年だ。

「そうだなあ、早えなあ」
「変わりたくねえ」
「変わらねえよ、俺もお前も」

15歳になる少年は、センチメンタル。俺もこうなるのかなあと考えてみたが、俺が誕生日の頃なんてほとんどのやつが15歳で、きっと俺は焦れてさえいるんじゃないかと思った。14歳のまま成長を続ける仁王と幸村を横目に、すくすく伸びるたけのこのように、俺はきっと15歳にジャンプする。高い踏み台の先にはみんなが待っていて、ブン太が待っているはずだから。早く隣に並びたくて仕方がないんだ。
一番手は、いつだってお試し利用される。ブン太は、お兄ちゃんだ。お兄ちゃんはお試しで、4月生まれはお試しだ。お試しじゃないのなんて、丸井という名字くらいなんじゃなかろうか。そのくらい何よりも真っ先に立たされて、強引に背を押されて新しい世界への飛び出させられる。そんな人生の中で、ブン太が足踏みするなんて、少し意外な気もした。

「変わんない?マジで?」
「ああ、マジ。大マジ。」

変わらないかどうか心配なのは俺の方だったけど、俺以上に不安そうなやつがそばにいるから頷いておく。人と付き合うということはそういうことだ。俺が不安なときはブン太が頷くし、つまり、そういうことだ。

「そだよな、わり、なんでもねえ」
「おう」
「お前も早く15になれよ。早くセックスしてえ」
「お前なあ。15じゃなくて高校生になったらって約束だろ」

ぶどうの香りの赤い恋人は、どこまでも自由だ。あっという間に元気になったかと思えば、俺の股間を鷲掴みにするのだからたまったもんじゃない。ワイシャツの上から人の乳首を噛んだらだめだって母ちゃんに習わなかったのか?
後頭部の髪の毛をくいと引っ張って顔を上げさせると、犬歯の尖った前歯を剥き出しにしてブン太がこちらを威嚇する。ぐるる、と戯れに発せられる唸り声ごとまとめて口の中へ吸い込む。昨日の放課後ぶりにするキスは、最高に気持ちがよかった。

一瞬でも粘膜をこすり合わせるとたまらない気持ちになるのに、この日はそれが5分も続いた。ぜえはあと息を継ぐのもお互い許さないで、ただ、食む。昂ぶった陰茎をどうしていいか知らないわけもない。先にベルトに手を掛けたのはブン太だった。自分自身のベルトに先に手をやったブン太に、俺は「やべえな」と直感的に思う。これは、流される。普段からブン太の好き勝手させているせいか、というかその好き勝手に便乗して適当に流されているせいか、ブン太のしたいことニアリーイコール俺のしたいことになってしまっているわけで、こういうことに関しては俺自身としてもしたいわけで、ああ、これはいけない。と、そう思ったのに。

「俺の方がオトナだな」
「ンなもん、今更だろーが」
「そだけど、なあんか、気分いい」

にい、と、笑ったかと思えば、ブン太はそのままひらりと身を翻した。まとめて床に投げ出されたテニスバッグを引っ掴んで、「部活!行くぞ!」。
中途半端に投げ出されたままの性欲を持て余すのは俺だけなのか、14歳のブン太は今、テニスに燃えている。きっと15歳になればもっともっと燃えて、14歳のまま夏の大会を迎える俺の何歩も何十歩も前を行くのだろう。心地よい風が吹く。
「一足先に、ハッピーバースデイ」
誰よりも早く、俺がその言葉を口にした。15歳になる決心がついた、あともう少しで15歳になる14歳のブン太。ひとつ年を重ねることの意味を、俺たちがいちばん知っている。8歳のときから、もう7年も経つ。毎年祝った誕生日、今年もおめでとう。今年だけは少し早いけど。長い年月の中でたまにはいいかとはにかんで、俺もテニスバッグを掴んで走り出す。コートにはまだ、大勢の14歳が待っている。










end

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