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恋人の誕生日を祝うのは生まれて初めてだった。果たして、愛しの君はどうすれば喜んでくれるのだろうか。色恋沙汰に疎い私がそういった相談を持ち掛けるのは、決まって仁王くんだった。最も私に近しい存在。しかし今回ばかりはそうはいかない。祝うべき相手がまさに、仁王くんだからである。
消去法と言ってしまうと怒られてしまうが、私は父を相談相手に選んだ。私がぽつりぽつりと事の顛末を話すと、父は面映ゆそうにはにかんだ。「おめでとう」と、父は私にそう言った。「人を愛することは素敵なことだよ、比呂士」温かな手のひらで両手を包まれて言われたその言葉は、じんわりと胸に染みて、ごめんなさいと口にしてしまいそうになった。その瞬間、自らに憤る。なにが、ごめんなさいだ。「彼は、寒いのが嫌いなんです」間違った一人称、父が気付かなかったはずはない。僅かに瞠目して唇が震える。平手打ちされる覚悟なんてなかったけれど、嘘を吐いて実父を欺く醜い息子にはなりたくなかった。「父さんからもおめでとうと、伝えておいてくれないかな」そう言われたとき、少しだけ涙が出そうになった。過ちを犯そうとしている息子をそれでも止めない父の思いを、そこに確かに見た。

待ち合わせ場所は、現地にした。早めに着いておいて、準備をしておく必要があったからだ。「午前10時に舞浜駅の改札を出たところで落ち合いましょう」そう電信文書を送ったら、仁王くんからは不思議な猫のスタンプが送られてきて、それっきりだった。連れて行かれる場所は粗方想像出来るだろうに、明確な拒否も狼狽も歓喜も、何もないことに少しばかり違和感を感じたが、仁王くんの考えることは未だによく分からないから、仕方のないことだと思い込んだ。

改札を潜り抜けてきた仁王くんは、思ったよりも厚着でほっとする。それでもレザーのジャケットはどうしても頼りなさげに見えた。「仁王くん、お誕生日おめでとう」鞄にしまい込んだカシミアのマフラーと手袋を取り出す。出会ったばかりで急にマフラーを引っ掛けられた仁王くんはぽかんとした表情で、大人しく両の手袋を装着されるのを待った。「これ、プレゼント?」「ええ、プレゼントその1です」「はあ?まだあんの?」柔らかな生地に頬ずりしながら仁王くんは笑った。その表情で、ああ、とりあえず、自分の選択は間違いじゃなかったのだなと思う。なにもかも初めての私は、一つ一つ手探りだ。最後の仕上げにとジャケットの上から仁王くんの心臓を触る。そのついでに、シールを1枚貼ってあげた。「仁王くん」と書かれたその大きな丸いシールは、今日1日彼を盛大に祝うだろう。改札を出てすぐの人通りの多い場所で私たちの行為は物珍しかったようで、流石に仁王くんも居心地が悪そうに視線を外した。「お前さ、女子じゃないんだから…」「雅治くんと迷ったんですけど、私がまだ呼べないのに他の人たちが呼ぶのはなんだか悔しい気がして」言い訳じみてしまっただろうか。あんまり仁王くんが恥ずかしそうにするから、足早に入場ゲートへ向かった。チケットは既に購入してある。何度も財布を開く仁王くんに「お願いします」と20回くらい言ったところでようやく、彼は財布をしまった。「来年の誕生日、覚えとれよ」と恨みがましく言うその台詞に、私は約1年後の未来を思って胸を躍らせる。向かう道すがら早速「おめでとう」を2回も言われた仁王くんは、諦めたように、頬を染めながら「どうも」と応えていた。

アトラクションに並ぶたび、吹き抜ける風に仁王くんが身体を震わす。「寒いですか?」素直に頷くと私に申し訳ないと思ったのだろうか。少しだけ思案した仁王くんが一つトーンの低い音で「んや」と言う。それは寒い証拠だから、私は鞄の底から今度は使い捨てのカイロを取り出す。適当に封を切り仁王くんに手渡すと、「四次元ポケットかよ」と喜んだ様子だった。

夕方には園を出た。ライトアップされた巨大なツリーは、昼よりも存在感を増していた。カメラを内側に向けて仁王くんを呼ぶと、嫌々という風に彼はフレームインする。髪と髪が触れる程の距離で、小さな小さなカメラ音が響いた。「おみやげじゃあ」と、白い缶を振る仁王くんからそれを取り上げて一緒に会計を済ませてしまいたかったが、それだけは終ぞや許されることはなかった。駅に向かう途中、一度だけ指先が触れ合った。手袋同士のふれあいだったが、それはあまりにもリアルで。仁王くんがばっと顔を上げてこちらを見るから、たまらない気持ちになった。「仁王くん、好きです」イッツアスモールワールド。世界は狭い。その中で私はこんなにも、君を愛している。仁王くんの右手を、私の左手が強く引いた。そうして一瞬だけ重なろうとした唇は、仁王くんの左手で遮られた。「何考えよるん」ピリッとした空気が走って、私は息を飲んだ。「すみません」急に離れていった仁王くんは、ずんずん進んでいく。調子に乗ってしまったな、と思っても後の祭りだ。父は「相手のことを思いやることが愛だ」と言っていた。言っていたのに、思いやれていなかったのかもしれない。今日のデートプランその全てが。一度そう思ってしまうともうだめだった。出来るだけ多くの人に祝福して欲しくてここを選んだけれど、人混みや寒さを嫌う仁王くんにとっては苦痛だったかもしれない。平日でさえ大賑わいのテーマパークにあろうことか日曜日に来るなんて、そもそも間違っていたのだ。

「ありがとうな」それなのに、最寄り駅のホームに降り立ったときに仁王くんはそう言った。気まずさのあまり一言も話さなかった電車の中の空気が嘘のように仁王くんが柔和に拡散する。「やぎゅ、見んしゃい」仁王くんの左手を見ると、いつの間にか赤いバラが咲いている。え、と、声に出した瞬間それが消えてそこには黄色いクマの小さなぬいぐるみが出現した。キーチェーンに繋がれたそのクマを、仁王くんは私に寄越した。「素敵な誕生日を、ありがとう」「ちなみに、お・そ・ろ・い」悪戯っ子のような表情をした仁王くんは、左のポケットから自らの携帯電話を取り出した。その端から繋がったチェーンには今この手の中にあるものと全く同じものが笑っていた。サンタクロースの帽子を被ったあまりに子供染みたそれ。仁王くんには似合わない。「仁王くん、好きだ。きみが、好きだ」電車が発車したあとの人も疎らなホームでは、急に抱き締めても仁王くんは文句を言わなかった。それどころかこれ幸いと腕を絡めてくる。「ちょっとくらい我慢しんしゃい」「だって、仁王くんのこと好きなんですもん」そのまま仁王くんの顎を持ち上げて固定すると、気まずそうに視線を逸らす。それが可愛らしくて、徹底的に追い詰めた。後ずさる身体をそれでも離さずに壁へ押し付ける。「目を見て、仁王くん」「口を開けて」「舌を出して」蕩けた瞳に見つめられて、こちらまでぶるりと背筋に快感が走る。まるで急かすように眉頭を歪める仁王くんの唇に吸い付いたときちょうど、携帯電話に着信があった。私だ。「出んしゃい」仁王くんは有無を言わさぬ声で言う。門限をもう1時間も過ぎている。母さんはご立腹だった。通話終了のボタンを押し、フェンスに凭れて空を見上げる仁王くんの側による。鼻の頭が、とても寒そうだったから小さく口付けた。「お誕生日おめでとう、仁王くん。少しは喜んでいただけたでしょうか」「これが答えじゃ。さぁさ、帰るぜよ」黄色のクマを見せ付けるように振って、仁王くんは笑った。「ただ来年は、温泉がえぇかもなぁ」慌てたように謝る私の背中をさすりながら、仁王くんは真っ白な息を吐く。歌うように、ささやくように。







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