□知り合い
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「仁王くんって、かっこいいですよね」
「……………ヒロシお前ついに」
「そ、そういうわけではありませんよ丸井くん!」

ずれてもいない眼鏡の弦を押し上げながら、一気に冷や汗をかいた友人は急に小声になる。そんなに心配しなくとも、2面も挟んだ向こうのコートにいる彼奴には、聞こえやしないのに。「そ、そういうわけでは、ありません、」再び同じ台詞を吐いたあと、それでもやはり、友人は遠くの銀を目で追う。今度は何も言わないけれど、どうせまた心の中で、「かっこいい」と、そう思っているんだろう?

「ヒロシの言うかっこいいってなんなの?」
「何かと言われましても…」
「顔?」

うーん、こう言うと誤解を招きそうなのですが、そうですね。
そう言ってヒロシはそれからつらつらと話し始めた。まるで原稿でも用意されていたかのように、するり、するりと。
顔が好き、というとなんだか誤解を招きそうですし語弊がありそうな気もしますが、確かにあのような種類のお顔は羨ましい、と言いますか、憧れ、と言いますか。詳細に申し上げますと、そのパーツひとつひとつが綺麗で整っていると思いますし、それが上手い具合に並んでいますよね。それから。それから。
ひとしきり顔の好みについて語り尽くしたヒロシは、ほう、と満足気に息を吐いて、また、遠くの銀を見る。上気した頬に、自分では気が付いていないのだろう。色白なせいで朱に染まったそこが、どうして俺にばれないと思ったのだろうか。

「それから、やっぱり、テニスがすごくかっこいい」

学年一の秀才が急に中学生の語彙力に戻って、心の底からそう思っているのだろうという声色でそう言う。
確かに、確かに仁王のテニスはかっこいい。色で言うと、まさに銀、それかブルー。上空何万メートルの澄み切った空気。深海、限りなく碧に近い冷水。きんと音がするかのように研ぎ澄まされたそのオーラとプレイスタイルは多くの人を魅了する。
遠目からでも分かる、散る汗はどう考えても暑苦しいのに、その表情は涼しく、ただ、ぎらついた金の虹彩はまるでヘビのようにまとわりつく。「イケメンだけど、きもちわりい」と、そう言った他校のテニス部員を知っている。整った顔立ち、鮮やかなテニス、ただ、その虹彩だけが異様に。その特異さを、嫌うか好くかは本人次第だ。俺は好いた。俺は好いたし、ヒロシはきっとそれ以上にその本性を好いている。

「はやく、仁王くんと試合がしたいな。」

あと3ポイント、そうヒロシは言った。あと3ポイントであの銀の空気とぎらつく虹彩はヒロシだけのものになる。ヒロシは、きっと嫉妬をしている。たった1試合、6ゲームの間、その虹彩にがんじがらめにされているチームメイトを。仁王が遊び半分に試合しているのをわかった上で、ヒロシは気に入らないんだろう。とんだ性癖だ。俺だって仁王のことは好きだし、仁王のテニスはかっこいいと思う。だが、あの目はだめだ。捕まってしまうと、何かが身体がまとわりついたように、動きづらくなる。
それなのに、仁王と対峙したヒロシは、普段のヒロシからは想像出来ないくらいに、尖る。かっこいい、だなんて言っておきながら、あの粘つく瞳を振り払って、まさに、踏み躙る。自覚がない分、余計悪質だと思った。

「かっこいい、仁王くん、」

思わず口から漏れてしまったというようなその台詞に、俺は一瞬背を泡立たせる。含みが、ある。
ヒロシが奥底で仁王をどうしたいと考えているかなんて、俺にしてみたらそれは映画のように鮮明に見える。テニスだけじゃない、テニスであの虹彩を薙ぎ払って、それからどうしようかなんて。
それでも、ヒロシは気付かない。はじめは気付かないふりをしているのかと思っていたが、違う。心の底から尊敬してる、かっこいい、だから勝ちたい。粘つく空気をレーザービームで切り裂きたい。そんな風に考えて、危なっかしい感情はますます増幅している。それだけではないのに、気が付かない。

「ヒロシは、仁王が本当に好きなんだなァ」
「好き、と言うと何だか誤解をされてしまいそうですけどね」

試合終了のホイッスルが鳴る。僅かだけ滲んだ額の汗を拭う仁王に、隣で唾液を嚥下する音が聞こえる。首筋の銀が流れて、また。
ヒロシは、捕食者だ。仁王限定で。真っ黒な感情を気付かないままに肥大させて、きっと自覚した頃にはすでに手遅れになっているに違いない。それが爆発した時のことを少しだけ想像して、俺は身震いした。

「美味しそうだ、って思っただろィ」
「………………」

きょとんとしたヒロシは、そこで初めて俺を視界に入れた。試合中には一瞬でさえも仁王から目を離さなかったくせに。現金な男だと思った。
今はまだ。美味しそうだなんて思っていない、食べてしまうことも考えていない、ではそのお前の仁王に対する感情は何だ?
そこまで教えてやるほど俺はお人好しではないし、本人に自覚がないんだから教えてやっても意味はない。ヒロシの頭に詰まりに詰まった情報の中の、「長期的課題」に分類されて、あとはそのまま。きっと、ヒロシが気付いたときにはちらりの脳内に過るんだろうが、そのときにはもう仁王はすっかり喰われて骨になっちまってると思うんだよな。
本気でなかったとはいえ、炎天下の下6ゲーム制の試合をしたダメージは大きい。仁王はいかにもだるげにこちらへ向かって歩いてくる。部員共有のアクエリボトルを探してやろうと思う前に、ヒロシはもうそれを手にして仁王のところへ歩き始めていた。

「におー!あんま腹減るテニスすんなよな!」
「あー?」

にい、と歪む唇とぎらつく瞳はまだ試合中の名残を残している。その奥底で、ぱちんと音がした。
何よりも問題なのは、仁王がそれを知っていてヒロシを煽り続けているということだ。気付かない幼気な紳士を手のひらの上で、ころころ。牙を剥かれるのを待っているだなんで、とんだ詐欺師がいたもんだと思う。肉を割かれて骨を断つ。おいおい、骨までしゃぶられるってお前分かってんの?仁王が予測しているよりきっと、ヒロシはタチが悪い。ライオンなんかじゃない、きっとハイエナだ。
そこまで知って仁王がそうしているんだったらもうそれこそ俺は本当に知らない。なーんにも知らない。
とりあえず、面倒ごとにならなきゃなんでもいい。

「仁王くん、仁王くん。」

ゴルフをしていたはずのヒロシは今、ラケットを片手に臙脂のユニフォームを来て白いラインの上に立っている。今まで真っ直ぐ一本道を生きてきたであろうその形のいい後頭部のお前は、どこで気付く?
そして、踏み外させた張本人、お前はどこまで予測している?






ヘビとハイエナは、ただひたすらにその時を待っている。





end

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