OR

□何も欲しいものなどない
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そんなことをつらつらと思いながらソファへ近づいた忍足は、小説を拾うついでに跡部の頭をぐしゃぐしゃと掻き回してやった。柔らかな猫毛が右手に絡み付いて心地いい。上等なシャンプーとコンディショナーを使って、日々手入れがしてあるからだろう。あんなに忙しかったというのに、跡部の身だしなみが崩れることは一度たりともなかった。頂点に君臨する完璧主義者は、いつ如何なる時も完璧なのだ。

「やめろ、うざったい」
「はは、すまんすまん。しばらく寝たらえぇよ。時間になったら起こしたるから」

まるで動物のように頭を振って干渉を拒否した跡部に、忍足はさして悪いとも思っていないような謝罪をしながら、テーブルを回って向かい側にあるソファへ座った。同時に左手首の腕時計に目をやると、下校時刻まで40分ほどある。疲れを取るために一眠りするには丁度良い時間だ。跡部が目覚めるまで小説を読もうと、忍足は手に持った本を開く。そしてそこで、ふと考えが浮かんだ。

「…もののけ姫借りてこよか?」
「もののけ、?」
「でいたらぼっちが出てくる映画や」
「いらねぇ、………いや、やっぱり気になる」
「どっちやねん。なら、レンタルショップ行ってこよかな」

明日は部活が休みで、このまま跡部宅に泊まりに行く予定だったから丁度良い。今晩は最新のホームシアターで、恋人と2人映画鑑賞と洒落込もうじゃないか(尤、観る映画はもののけ姫なのたが、それはご愛嬌というやつだ)。
手に持った小説を元の場所に置いて再び腰を上げたとき、跡部が何か言うのを聞いた。半分眠った様なたどたどしい声で、忍足の名を呼んでいるようだ。

「うん?」
「いまは、いろよ。かえりに、ふたりでいきゃあ、いい」
「せやかて、遠回りになるで」
「かまわねぇよ、てめぇがいるほうが、おちつく」

だから。と。
忍足が戸惑いながら頷くのを、いつもの5割程度しか見えていない蒼の瞳が捉えると、跡部は満足そうに口の端を上げて笑い、そして今度こそ眠りに落ちた。ものの3秒ですうすうと安らかな寝息が聞こえてくる。
まったく、俺の恋人は何て嬉しいことを言ってくれるんだ。忍足は頭を緩く振りながら苦笑する。少しだけ、ほんの少しだけ赤くなった頬は、何だか口惜しいから自分だけの秘密にしておこう。確かに付き合い始めた頃のような新鮮さはないが、その分信頼の度合いは右肩上がり。ますます無防備に素顔を曝け出す恋人に、何だか心がほっこりとして、暖かい気持ちになった。

「ほんま、かなわんなぁ」

完全無欠の王様は、やはり何者にも頼らず我流の道をゆく強者だったが、時々、休息を求めて手を伸ばしてくる。そんな僅かな機会の、僅かな相手が、俺であって良かったと、忍足は心からそう思った。
予想外のビデオ屋デートに思いを馳せながら、手に取るのは恋愛小説。いつか自分たちのラブストーリーを綴るのも良いな、と紡いだ、微かな呟きは窓から吹く爽やかなの風に攫われていった。柔らかな微睡みの中、跡部がこっそりと笑ったことを、忍足は知らない。












end
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