倉庫

□古傷に手を当てて。
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「――――何か、知っていることがあるようじゃの」



その声に、裕里ははっと我に返った。

アルバス=ダンブルドアは裕里を真っ直ぐに見つめている。全てを見透かすような、透明な瞳で。


裕里はセブルスに視線を走らせた。

殺気は無くなったものの、未だナイフのような目で睨んでいる。一挙一動を監視していると言わんばかりのそれに、裕里は微かに息を呑んだ。


――冷たい目を向けられることは始めてではない。

けれど久しいその感覚は、予想以上に戸惑いを齎していた。


あちらは本当に居心地が良かったのだと再認識して、裕里は内心苦笑を漏らす。このまま黙ってはいられまい。



「……これから私が話すことは、貴方がたにとって到底信じられないものでしょう。けれど、遮らずに最後まで聞いていただけますか」



アルバスとセブルスは顔を見合わせた。セブルスが目を伏せると、アルバスはひとつ頷く。

節が多く付いた杖を取り出すと静かに振った。どこからともなくテーブルと椅子が現れ、ティーカップに紅茶が注がれる。裕里は驚かなかった。



「約束しよう。――――掛けなさい」








「私は、この世界のことを知っています」



裕里の話はこの言葉から始まった。


裕里は自らのことを事細かく説明した。

日本で生まれ育ち、ごく普通の子供として生きてきたこと。その世界に魔法というものは存在しなかったこと。よって自らも非魔法族であること。義務教育として学校へ通っていたこと。



「魔法が無い世界なら、何故我々のことを知っておるのじゃ?」


「私の世界には、貴方がたの世界を知る手段がありました。学校の図書室、街中の書店……どこに行っても。私は貴方がたを、とある小説の中の人物として知りました」


「小説……!? 我々がフィクションの中の者だと!?」


「そうです。イギリスの女性作家が書いたものでした。巻数は七。

ある人物を主人公にしたそのシリーズは世界的な大ヒットを記録。映画にもなり、またヒットして。あのシリーズを知らない人は少なかったでしょう」



それは裕里が住む日本でも同じだった。

新たな巻が出る度に書店には真夜中から行列が出来た。老若男女問わず、その世界、その主人公の冒険に魅せられた。



「『ハリー=ポッター』……その主人公の名前であり、シリーズの名前でもあります」



息を呑む音がした。

セブルスは目を見開いていた。自分が『創られた』人間であることが信じられない、そんな顔。



「では君は、小説の中の世界に来てしまったということじゃな? その、魔法が存在しない、君の世界の日本から」


「半分はそれで正しいでしょう。……しかし私は、日本からここに来たわけではありません」



アルバスの言葉に裕里は首を横に振った。手付かずの紅茶は、もう冷めてしまっているだろう。



「――――私はここに来る前に、日本から別の世界へ飛んでいました」



それはまるでお伽の世界。

役を割り振られた者を主軸に回る国。自分がどこよりも自由に生きられた場所。

時計ウサギにハートの女王、帽子屋、果ては夢魔までもがルールに従いながらも生きている。

昼、夕、夜が不規則に訪れる時間の国――銃弾飛び交う、真っ赤な真っ赤なワンダーワールド。



「物語を通してその世界を知り、その世界に焦がれた私は、ある日夢に現れた夢魔に導かれてハートの国へ足を踏み入れました。その世界で二人目の『余所者』……異世界人として暮らし、充実した日々を送っていたんです。

元の世界へ帰る道を示されたことはありましたが、自らその道を閉ざしました。……ワンダーワールドで一生を終えると決めたんです」


「成る程。その世界から来たわけじゃな」


「えぇ。だから尚更不思議でならないんです。あちらにあの本はありませんでしたから。……ここが小説の世界だとして、その媒介になる本自体が存在しないんです」



裕里はようやく一息ついて、冷え切った紅茶に手を伸ばした。

渋味を増したような気がするそれを嚥下する。ほんの少し、心が落ち着いた気がした。手の微かな震えには気付かないふりをした。



「――――信用出来る要素があったとは思っていません。真実薬でも開心術でも使ってください」


「嘘はついていないと?」


「私だってつくならもう少しまともな嘘をつきます。こんな頭が狂ってるとしか思われないような話なんて、事実じゃなきゃ言いません」



疑い深い闇色の瞳を見返して裕里は言い放った。背筋を伸ばし、毅然とセブルスを見つめる。


もう良いじゃろう、とアルバスが言った。



「校長」


「真実薬も開心術も必要あるまい」


「信じるというのですか、こんな馬鹿げた話を!?」


「この子は嘘をついてはおらんよ、セブルス。澄み切った目じゃ」



のう、と微笑まれ、裕里は思わず泣きそうになった。

疑わしい人間なのは百も承知だったのに。信じてもらえるということが、こんなに安心感と温かさを与えるものだと知らなかった。


アルバスは再び杖を振った。現れたのは湯気が立つココアのマグカップだった。飲むように言われ、冷ましながら唇を付けて、裕里は笑んだ。熱くて、甘い。



「ミス・ナカハラ。君さえ良ければ、儂が君の身を預かろう。このホグワーツで過ごしてはいかがかな?」


「……よろしいのですか?」


「なに、儂も孫娘が欲しくての。君を養うだけの貯えはあるのじゃ。それに、君がホグワーツに現れたのにも、何か意味があるのやもしれん」



茶目っ気たっぷりにウィンクするアルバスに笑いながら、裕里はお世話になりますと頭を下げた。

意見しても無駄だと悟ったセブルスは何も言わなかったが、まだ裕里を認めたわけではないのだろう。

それでも裕里は、アルバスが認めてくれただけで嬉しかった。




―――――
ワンダーワールドに来てから冷たい目を向けられることが少なかったから、元の世界で培った耐性が薄れてきていた裕里。それでも同年代の他の子供より数倍強い。伊達に『能面』呼ばわりされたわけじゃない。
でも『孤独』は怖いし『孤立』したら不安にもなる。…心が凍っていたわけじゃない。今この時も、過去のあの頃も。

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