その指先に 【完結】

□con amore
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幕が上がって2曲続けて弾いて、拍手に応える為に立ち上がって客席へ体を向けて。
見渡すように顔を左から右へ移動させても、ギリギリまで落とされた客席の照明だけじゃ紗希の姿は見つからなかった。


【8.con amore】


このまま立ち尽くしているわけにはいかない。
簡単に挨拶を済ませるともう一度ピアノの前に座る。
フェイバリットナンバーを多く取り入れたセットリストを順調にこなしていく。
時折入る掛け声や手拍子に自分自身の気持ちも高揚して、申し訳ないけれど、どこかに紗希がいるってことを忘れていた。



最後の曲を弾き終わって、一度舞台袖へ引っ込む。
止まない拍手を聞きながら水分補給をしていると、誰か探してたのかい?と、じーさんに尋ねられた。

「…よく見てるな」
「キョロキョロしてたからね」
「プロにあるまじき行動、ってか」
「アキラにしては珍しいから。でも、そのほうが人間くさくて好ましいよ」
「そりゃどーも」

確かに自分でも少し浮き足立っていたと反省して、アンコールへと向かう。
演奏中とはうって変わって明るくなった会場。
最前列にいる、もう何度も足を運んでくれている人たちに少しだけ手をあげて応える。
舞台中央まで来て一礼して、顔を上げた時だった。
客席の真ん中辺り、あまりにも自然にぶつかった視線。
もっと気持ちが波立つと思っていたのに、思いのほか冷静な自分に驚いた。
紗枝の隣には紗希が居て、一昨日の宣言通りに髪は短くなっていた。
そんなに似合うって言ったのが気に食わなかったのかと苦笑いして、ピアノ横に設置された台の上にあるマイクを手に最後の挨拶をする。

『今日は、どうしても弾きたい曲があるんです。ジャズとは毛色が違いますが…』

期待の声、とでも言うのか、少し会場がざわめく。

『ただ……、うん、今夜はとても綺麗なので』

言い終えると、ふっと照明が落ちて、あたしとピアノだけが浮かび上がる。
深呼吸してからピアノと向き合う。

自分の気持ちとも。

『弾けとは一言も言っていないだろう。持っていればいいだけの話だ』
『じゃああの曲弾いて、玲への―――お姉の気持ちなんだから』

よみがえる声。
二人とも、紗枝のことをどんな形であれ想っているんだ。

『…何かわかったかい?』

じーさんも、きっとあたしのことを想ってくれている。

『それともあなたにとっては…悔いる事しか出来ない、変える事の出来ない過去でしかないのかしら』

アイツもアイツで。
あたしと紗枝のことを、いつまで経っても想ってやがる。

どんな理由でも、どんな形でも、誰かが誰かを想うんだ。
それを理解した今だから、きっと大丈夫。

だから。

「…聴いてくれ」

小さく呟いて躊躇うことなく鍵盤を押さえた。
届け、届けと願いながら。

あの夜。

嘘をついてまで。
寝ている人間を叩き起こしてまで。
聴きたいと言ったおまえのためだけに弾いた、月の光をもう一度。
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