その指先で

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人が程良く入っている喫茶店。その隅っこ、私の対面で久我さんは難しい顔をしていた。

「もしかすると、神門さんは優秀なSPを雇っているかもしれません」

テーブルに置かれた電子端末。その画面には、目的の人物の画像が映し出されていた。
学園で見た粗い映像とは段違いの、確実にこの人は玲であると確信が持てるそれ。

「玲に接触する障害になってるってこと?」
「さすがにこちらから接触するには早計過ぎますが…直接見かけたわけじゃないので何とも。ただ、こちらの動きを把握しているような行動を何度かされたので」
「つまり?」
「不甲斐ないですが何度か撒かれたって事です」

ごつん。テーブルに額をつけた音は思いのほか大きく響いた。
表情は見えないけれど本当に悔しそうに呻く。

「でもなぁ…そんな空気出してる人間がいれば間違いなく気付くし…かと言って神門さん自身が気付いてるようには思えないし…」

人差し指でくるくると「の」の字をいくつも書く姿が微笑ましく思えるのは多分、お互いに少し余裕が出てきたから。
きっと何の成果も得られていなかったら、久我さんだってこんなふうに姿勢を崩すような事はしないはず。仕事だから特に。

「私に出来そうな事はある?」

依頼主だからってお願いして任せっきりっていうのは自分の性に合わないから、一緒に悩めるなら悩みたい。
そう思って声を掛けると、バッと顔を上げて目をぱちぱちと瞬かせた。
窓から入り込む昼過ぎの斜陽がその目の中できらきらと反射して、綺麗だなって思った。

「どうしたの?」
「やっぱり」
「うん?」
「祈さんてやっぱり綺麗なんだなって」
「は?」

ものすごく自然に、気が抜け切った状態でそんなことを言うから、こちらも受け止めきれなくて変な声が出た。

「どうしたの?撒かれたのがそんなにショックだった?」
「あ、それはもう気にしてないです。あとさっきのは単なる本音です」

いつものへらりとした笑顔じゃない穏やかな笑顔に、社交辞令とかお世辞とかじゃなくて、彼女の言う通り本音なんだと思えた。
と同時に、ちょっと頬が熱くなるのは仕方ない事にしてもらおう。

「とりあえず行動範囲は絞れてきています。
 頻繁に訪れている喫茶店で時々ピアノを弾いているみたいですね。居ない時間を見計らってお客として数回行ってみましたが、趣のあるアップライトが一台置いてありました」

ついっと指先で操る画像には、古いピアノが一台。それでも大切に扱われてきたんだってわかる。

「やっぱりというか、流石というか、ジャズピアニストとして有名になってきているそうです。だからここで演奏を聴けるのは相当ラッキーじゃないと無理だって店主さんも言ってました」
「有名になったら探しやすくて助かるわね」

確かに、と苦笑する久我さん。実際にそのお陰で調査も前進しやすくなっているらしい。

「玲のピアノ聴いた?」
「いえ。店主さんの言う通り、今回の滞在中にはお店には来なかったです。それに」

もう温くなってしまっただろうコーヒーの残りを飲み干すと、少しだけ思案してから、言葉を選びながら並べてくれる。

「それに…神門さんはきっと、あたしなんかじゃなくて、もっと聴いて欲しい人がいるような気がして」

誰に、って主語をつけないのが久我さんらしい。
まるで、わかっているでしょう?とこちらへ問いかけるようなひとりごと。

「それにしても、良くも悪くも目立っちゃうのは相変わらずね」

どれだけ自分から埋もれたとしても、見つけられてしまうのね。

「…神門に縛られないで済むようになったはずなのに」

玲がどこまで望んでいるのかわからないけれど、もし名声を手に入れたとしたら、玲をまた利用するんじゃないだろうか。
おとなげないと思うようなことを平気でやってのけるのが神門の人間たちだ。あり得ない話じゃない。

「見つけて欲しいんじゃないですかね」
「え」
「神門の名前とかいろいろ、たくさん手離して。そうして自分に残ったものだけで精一杯歩いて。
 その先で、きっと、もう一度見つけて欲しいんじゃないかって…思います」

そうであって欲しいって、久我さんの言葉の端々から感じる。
さっきと同様、誰に、とは言われなかったけれど、そんなふうに前向きに生きていてくれるのなら嬉しいから。

「そうね」

答えたら、嬉しそうに笑ってくれた。
励まされて、勇気づけられているのは私のはずなのにね。
本当に本当に嬉しそうに目尻を下げて、頬をゆるゆると緩ませて笑う久我さんの前髪を、ありがとうの気持ちを込めて撫でた。
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