ヤマアラシ

□私の戸惑い
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酔って、眠たくて。閉じた瞼は意思に反して開いてくれなくて。

『綾のこと好きだよ』

それでも微かに聞こえた声は、夢なんかじゃないと思うんだ。



珍しく酔ってしまって、美和の部屋へと連れて行かれてから一週間。尋常じゃない忙しさも少し落ち着いて、普通の忙しさになったと思う。
昼の休憩時間を少し過ぎ、全員が席を立ったオフィス。節電の為に消灯すれば、それだけで随分涼しく感じるから不思議だ。

「宮下、昼飯は外か?」
「あ、はい」

声を掛けてきた上司の高平さん。その笑顔はいつも男前で爽やか以外の何物でもないはずなのに、この所どうも違和感がある。というか、様子がおかしい。

「そうか。どうだ、たまには一緒に飯でも」

高平さんはこのプロジェクトのリーダーで重役にも一目置かれている人。人当たりも良いし、私たち部下に対する気配りもしてくれるし、何よりこの仕事へのヤル気に満ち満ちてる。
成功した時はしっかり評価してくれるし失敗した時のフォローだって完璧。そんな少女マンガに出てくるような好青年は、同性しか好きになれない私でも素敵な人だって思うし憧れたりもする。けどそれは私だけに限ったことではなくて。
お昼ご飯を一人で食べてる所を見たことがないし、残業してる所に差し入れを持ってくる女性社員がいたりと、まぁよくモテる。
そんな彼のほうからお誘いとは、明らかに様子がおかしい。

「約束があるなら無理にとは言わないが」
「あ、いや、喜んで」

そう答えれば、安心したように笑った。ご飯の相手なら引く手数多だろうこの人の意外な態度。どこかで頭でもぶつけたのかな。その辺りは食事の時にでも聞いてみようか。
財布と携帯を手に、高平さんの後ろをついていった。



食後のコーヒーを飲みながら、残りの時間を過ごしていく。食事の時は仕事の話をしないという噂はその通りだった。
公私をきちんと区別してるんだなと思うのと同時に、それでも変わらない性格の良さに彼の超絶っぷりが表れてて、少なからず羨ましくなる。美和もこういう人に憧れたりするんだろうか。

「そういや西尾と仲良いんだよな」
「総務にいた頃の先輩ですし。入社した時の人事担当で、研修の時もお世話になりましたし」

そう、実は美和は私が就職活動をしている時からお世話になっていたりする。美和自身が覚えているかどうかわからないけど、正式に総務に配属される前にも何度か接触はあった。
その頃から想いを寄せていたことを先日、美和の部屋に行った時に酔った勢いもあって告げてしまったのは今もちょっと恥ずかしかったりする。
そんな美和も様子がおかしい。と思う。
いつ頃からと問われれば、その「先日」くらいからだけど。

「高平さんと西尾先輩って同い年ですよね」
「ああ、同期だよ」
「どんな感じだったんですか?西尾先輩って」
「そうだなぁ…」

そう言うと楽しそうに話し始めた。
最初は気の強そうな印象だったとか、しっかり者だけどたまに抜けてたとか、美人だから今でも人気があるとか。
本当はすごく女の子らしい、とか。

「随分とよく見てるんですね」

嫉妬した。私の知らない美和を知ってる事、私の恋人をそんな表情で語る事に。
心狭いな、と思ったけど、声になってしまったものは取り返しがつかない。

「あーまぁ、な」

歯切れ悪く、頭をガシガシと掻きながら周りをキョロキョロ。それにつられて同じように視線を巡らせても、これといったものも無いし見知った人もいない。

「高平さん?」
「あのだな、俺さ、西尾のこと…好きなんだ」

胃の辺り、鋭い痛みが走る。

「この間あった飲み会で、実は…その、告白をしたんだ。お互い30手前だろ?真剣に付き合うなら俺は西尾が良いし、その先も西尾となら」
「高平さん」

かちり。パズルのピースがはまる。
「先日」からの美和の様子がおかしかった理由。
やばい、どうしよう、なんだこれ。

「あ、の、ですね。そういったプライベートのお話をなぜ私に?」

声が震える。テーブルの下、膝の上に乗せた手も固く握られて震えてる。ヘタしたら、身体も震えてるんじゃないか。

「すまない。出来れば俺一人でどうにか出来ればいいんだけど、出来なくて」

どうにか、って、どうしたいのさ。

「西尾と仲が良い宮下に、少し、協力して欲しいんだ」

そこからの話は、聞こえていたけど覚えていない。
美和はどう思ってるんだろう。美和以外の誰かの一言で、こんなにも頭の中がぐちゃぐちゃになるなんて。
その前に、何で言ってくれなかったんだろう。何かあったのかと聞いて、なんでもないと言った美和。踏み込まなかった私が悪いんだろうか。
どうして黙ってるのさ、どうして隠す必要があったのさ。
同じことばかりを考えて熱をもった頭でも、笑顔を浮かべられる自分が心底嫌だった。

「そろそろ戻るか。今日は奢らせてくれ」
「すいません…ごちそうさまです」

椅子を元に戻して、レジへ向かった高平さんを見る。
あの日、聞いた美和の声。好きだよと聞こえたのは、酔った自分が都合良く再生した幻聴だったのかもしれない。
そう思ったら鼻の奥が痛くて、背を向けた高平さんを視界から外したら、涙がこぼれた。
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