ヤマアラシ

□私のある日
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お昼を過ぎた社員食堂。15時以降は、コーヒーの香りが漂う。
最近強くなり始めた日射しが窓枠だけを繰り抜いて、たくさん並んだテーブルにその光を落とす。
省エネの為にと数列置きにしか照明が付いていないからか余計にその部分だけが浮いて見えて、なんとも暑そう。
ちらほらと見える社員たちも、その場所を避けるようにして座る。かく言う私もそのうちの一人。
目の前に置いたカフェラテは、最初の一口を付けてから手を出していない。

「しんどいな…」

ここ最近の忙しさは半端ない。それもこれも、綾が所属しているプロジェクトが本格的に始動し出して、それに伴って総務の仕事が増えたことによる。
身体が疲れてる、とここまで自覚するのは久しぶりで、何ともスッキリしない。
ジムに通えてないっていうのもあるんだろうなぁ、ここ2週間動けてないし。

「でもまぁ、一番しんどいのは当事者たちなんだろうけど」

背もたれに身体を預けて伸びをすると、ふと右側、ごく近いところに人の気配。振り向くとその当事者、綾がいた。

「あ、っと、宮下(みやした)さんも休憩?」
「はい」

にこり笑うと、綾は片手に抱えたトレーから慣れたような手付きでフォークとガト―ショコラが乗った小皿をカフェラテの横に置いた。

「ん、何?」
「どうぞ」
「いや、わけわかんないから。自分で食べなよ」

じゃあ半分こしましょう、と言うと隣の席に腰を下ろした。
…こうして話す為の口実なのかな、なんて思ったことは内緒。

「疲れた時は甘い物って言うじゃないですか」
「まぁね、でもこの疲れは糖分じゃ癒せないレベル」

溜め息をついて肩を軽く回すと、あぁ、と納得いった様子。

「思いっきり動けてないですもんね」
「ほんと早く落ち着きたいから、仕事頑張ってね」

綾たちのプロジェクトが軌道に乗れば、以前のテンポで仕事をこなせるようになる。
ふと目にとまった、真ん中に置かれたガトーショコラ。まだ手がつけられていないそれを一口サイズにしてから口に運ぶ。

「甘い」
「それは良かったです」

そうしてようやく、手付かずだったカフェラテに手を伸ばす。

「せっかく休憩するなら、ちゃんと休憩したほうが良いですからね」

会社で話す時、綾の仕事をしている雰囲気と敬語が手伝って、どこか薄い壁が一枚ある気がする。
私が最初に出した条件――約束がそうさせてるって理解はしてるけど。
でも最近、それがもどかしいと思う自分もいるわけで。
と、いうことで。

「宮下さん」
「はい?」
「あーん」

さっきみたいに一口サイズにして、今度は綾の目の前に差し出す。綾はぽかんとしていたけど、状況を把握して一気に顔を赤くさせた。うん、可愛い。

「な、に!」
「だってフォークひとつしかないし」
「だからって…」

私とショコラを交互に見て、明らかに動揺してる。
きょろきょろ、そわそわ。食べるか食べないか、ものすごく葛藤してる。
うん、やっぱり可愛い。
こうして綾と少し話しただけでも、さっきよりは身体が軽くなった気がする。
差し出していたフォークを引っ込めて、自分の口へ。
目を白黒させている綾に、ごちそうさまとお礼を言って席を立つ。ついでに頭を撫でておく。

「じゃ、またね」
「あ、先輩!」

あまりに慌てた声を出すから、どうしたのかと驚いて振り返る。

「何?どうしたの」
「あ、もし先輩が良ければ、整体行ってみませんか?」

マッサージには何度か行ったことはあるけど整体はない。突然の提案に首をひねると、どこか自慢げに笑った。

「腕の良い整体師知ってるんです。かなり身体しんどいみたいですし、ちょっとほぐしてもらったらどうかなって」

笑ってはいるけどそう言う綾は心配そうな目をしていて、相変わらず底抜けに優しいと実感する。

「うーん…イマイチだったら?」
「そしたら私がマッサージしますよ」

即答で力強く言うあたり、自信があるらしい。綾のマッサージでも良いけど、とりあえずそこまでオススメするなら行ってみようか。

「じゃあ連絡しておきます。あと……っと、これ、簡単ですけど地図です」

手渡されたメモ用紙には、本当に簡単に書かれた地図にいくつかの目印。

「迷ったら電話下さいね。でもかなり目立つ建物なんですぐわかりますよ」
「目立つ…?」

どういう意味かはわからないけど、とりあえず行けばわかるか、とメモを財布に入れる。

「じゃあ、また」
「はい。あんまり無理しないでくださいね」

それは綾だよ、と小声で言ったら、苦笑いが返ってきた。
お互い様です、と別れ際にそっと手を触れられて、ほんの少し体温が上がった。
定時まであと2時間、ひとまずそこまでの元気は出たかな。
なんとなく緩んでる気がした頬に手を添えて、事務所へと向かった。
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