ヤマアラシ

□私の油断
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良いお店があるんだ、とメールが入って、返信をする間もなく次のメールが受信された。
美和は部署の飲み会があるからということで、それならと一方的な碧のメールに従って指定されたお店までやってきた。

《bar LEA LEA》

駅の通りにある小ぢんまりとしたお店。立てかけてある黒板にチョークで営業時間だとか、おすすめのカクテルだとかが絵と一緒に書いてあった。
おしゃれな外観で、店先のベンチには簡易テーブルが備えてある。ここでもお酒が飲めるのかな。夜もだいぶ暑くなったし、こういう所で美味しいお酒を飲めたら楽しそうだ。
そう思いながら少し重たいドアを開けると、微かに聴こえてきた音楽は、ウクレレの音色―――ハワイアンだ。

いらっしゃいませ、と声を掛けてくれたバーテンダーさんは赤色のアロハシャツを着て、長い髪をオールバックにしてひとつに結んでいた。
アルコールを扱う仕事だからもちろん未成年ではないだろうけど、どこか幼さを感じさせる。人懐っこそうな笑顔が印象的な人だった。
開店時間を20分ほどしか過ぎていない為か、お客さんは私を呼び出した本人しかいなかった。

「…で、どうしてこうなる」

碧の隣に腰掛けて、他愛のない話をして。外の黒板に書かれていたおすすめのカクテルを飲んで、それが美味しくて、上機嫌になって。そこまでは良い。

「あや〜聞いてんの〜?」
「はいはい聞いてますよ」

半分以上は聞いてないけどな!
右肩に全体重を掛けて寄りかかっている碧を支えながら、小さく息を吐く。碧がこんなに酔ってなきゃ、この店の雰囲気を楽しむところだけど。
この状況だけ見れば居酒屋のほうが合ってる。
なんでバーにしたんだ、次は絶対一人で来てやる。

「珍しいですね」
「はい?」

声の方を見れば、バーテンダーさんが楽しそうに笑っていた。

「碧さんがそんなふうに酔ってるところ、見た事がないので」
「え。こいつ、だいたいこんなんですよ」

言ってから、名前で呼んでいることに気付いて、碧がこの店の常連だってわかった。失言だったかな?

「それだけ、気を許せる相手なんですね」
「あー、そうなんですかね。えーっと、もう一杯作ってもらっていいですか」
「喜んで。何にしましょうか」
「お任せします」

そう告げると、にっこり笑った後に、一瞬だけ碧を見て。背後に並んだボトルを選ぶと流れるように準備をしていく。

「あや、何飲むの?」
「出来てからのお楽しみ」

ふーん、と気の無い返事をして、視線はバーテンダーさんの手元へ。ぼんやり見ていたかと思ったらクスクスと笑いだした。あぁ、これはアウトだ。

「碧、これ飲んだら出よう」
「んーん、大丈夫だよ」

途端、今まで支えていた重みが無くなった。横を見れば、さっきまでの姿がウソみたいに背筋を伸ばして座る碧。

「ちょっともたれたかっただけ」
「…わけがわからん…本当に」
「わかんなくてもいーの。あ、私にも何か軽い物ください」

はい、と短く、それでも笑顔を忘れずに応えるとまず先に私の前にグラスを置く。

「カシスソーダです」

しばらくしてから碧の前にはカルーアミルクが置かれた。

「じゃあもう一回、乾杯」
「ん」

グラスを軽く持ち上げて口へ運ぶと、甘酸っぱくて爽やかな味。居酒屋とは違って味がハッキリしてるというか。多分、このバーテンダーさんの腕も良いんだろうな。
カラン、とグラスの中の氷が踊って音を立てたのと一緒に。

「彼氏が出来たんだ」

呟いた声は、いつもと同じ。伏し目がちに、少しだけ微笑んで。

「ほぉ…良かったね、で合ってる?」

だから私も普段通りに問いかけると、そうなるように頑張ると笑った。

「紹介してよ」
「私が綾に彼氏を紹介するのは、結婚が決まったらだなぁ」

いつまで待てばいいんだ。それが表情に出ていたようで、ニヤリと口角を上げた碧に右手の甲を抓られた。

「痛いです」
「見通しが立たないですって顔してる綾が悪いんです」

やいのやいの、と話していると、来客を知らせるベルの音。そっと見てみると、どこかで見た事ある気がする女の人。それを見たバーテンダーさんがこちらに少しだけ頭を下げて、彼女の方へと行ってしまった。
それにしてもどこで会ったんだっけ、と考えてる間も、右手の甲に伝わるけして強すぎない痛みは続いていて。

「いい加減にしてください」
「ちょうどいい加減に抓ってるでしょ?」

うん、そういう問題じゃない。抓ってるその手を捕まえると、逆に手を繋がれた。
緩く繋いだそれは、私と碧の間で少し揺れた。

「…もしそうなったら、ちゃんと喜んでよね」
「当たり前でしょうが」

そっか、と言って離された手がグラスを持って、半分も残っていなかったカルーアミルクを空にした。それに合わせるように私もカシスソーダを空にした。
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