春よ来い

□3月7日木曜日
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3月7日 木曜日

志保と再会した日から1週間、正志さんが店に訪れることが多くなった。飲み直しだったり、残業で遅くなった時だったり。そういう時に足を運んでくれるようだ。
基本的に一人で来ることが多くて、志保を連れて来ることは今のところ無い。常連さんが増えるのは嬉しいけど今回ばかりは正直落ち着かない。
彼の視線は大抵、優希さんを追いかけていることが多いから。
あの日、優希さんと二人で帰ったことによって、正志さんが優希さんに好意を持ったとしてもそれは不思議じゃない。
だけどその想いは成就しないだろうし、志保だって報われない。

「眉間にシワが寄ってますよー店長」
「え?」
「難しいこと考えてましたか?」

えぇまぁ難題を、てか大問題を。

『…既成事実作っちゃえば良かったのに』

志保を連れ帰ってから最初の同じシフトでの勤務。優希さんが妙ににこやかな表情で出勤してきたから、先手を打った。優希さんが期待してるような事は一切なかった、と。




一睡も出来なかった私は朝ごはんと飲み物を買いに出て、部屋に戻って数分後に目を覚ました志保は、深夜の出来事を覚えていなかった。
酔っ払ったところから、キレイさっぱり記憶ナシ。
のっそりと身体を起こして部屋をぐるりと見渡して、最後に私にピントを合わせると、眉間にシワを寄せて一言。

『誰?』

それこそ、どこのどいつだと言わんばかりの表情と、少しの困惑。
もう何も言う気も起きなくて、いっそのこと正体を明かさずに酒癖の悪さだけを諭してお帰り頂こうと買ってきた水のキャップを捻ってから手渡して経緯を説明。
自分の置かれている状況を少しずつ理解しだした志保はベッドから下りて正座、話し終えるまでシュンと項垂れて。
頭を下げてごめんなさいと呟いた志保に、なんとも言い難い気持ちが顔を出した。
どうして気付いてくれないの、覚えてないの。私はずっと、今も想ってるのに…なんて自分勝手な感情が暴れて。

『とにかく、荷物とかまとめたら帰って頂けます?』

さっき提げてきた袋ごと志保に押しつけたら、戸惑った後で本当にすみませんでしたと頭を下げて出て行った。
それからすぐに自分の取った行動に嫌気が差して、定休日だけど店へ行こうと玄関を開けたらほんの少し上気した頬と乱れた髪の志保がいて。

『忘れ物ですか?』

走って戻ってきたらしい彼女に理由を尋ねれば渡した袋をぐいっと押しつけられて一言。

『っ、コレ』
『あぁ、お代は結構ですけど…』
『ちがっ』

ひとつ息を飲み込んで。
さっきまでのシュンとした態度は無くなって、申し訳なさそうな瞳は強気な物に変わっていた。
そして何かを確認するように一瞬だけ視線を袋に向けてから、もう一度その目をこちらに戻して。

『私の好きな物しか、入ってないじゃん…』

その中身を思い返してみれば、志保の好きだった物ばかりだと気付いて。どうしようもなく囚われてるんだなぁと呆れながらも、思い出してくれたことに安堵した。

『あー、そういうつもりじゃなかったんだけど』
『…ひどいよ、純』
『人の顔忘れたのと泥酔を反省してもらおうと思って』

二人で部屋に戻って、久しぶりの再会と近況報告に花を咲かせた。




……うん、至極真っ当な友人同士の図だ。

「志保さんはまだ一緒に来たことないですよね」
「優希さん、外のお客様にこちらを運んでください」
「はい」

小さく囁いた優希さんに笑顔を返すと、肩を竦めて舌をチラッと見せてからグラスを3つ載せたトレーを器用に持っていく。
そんな優希さんの後ろ姿は、本当に絵になる。その姿を見ていたのは私だけじゃなくて。

「カッコイイですよね、優希さんて」
「そうですね。正志さんから見ても、やっぱりそう思いますか?」

にっこり笑って頷いた正志さん。うん、爽やかだ。

「でも、純さんも素敵ですよ」
「あはは、褒めても何も出ませんよ?でも、ありがとうございます」

あと、ここ数日で知ったこと。正志さんはこういった事をサラリと言えてしまう、天然さんだということ。
これはきっと敵が多いぞと、ここに居ない志保に心の中で語りかける。

「聞いてた通りの人だったなぁ」

思い出すように、独り言にしては大きい声を出した正志さん。ちらっと見ると、ばっちり目が合った。

「志保がとっても大好きな人だって言ってたから会ってみたかったんです」

大好き、という言葉に、心臓がひとつ大きく脈打った。再会後の第一声は随分なものだったけれど、会ってもいない人間の話を、それも大好きなんて言ってくれてたなんて。
でもその事と同時に、呼び捨てしてるんだなとか思っちゃったりして、なんとも複雑な気持ち。私ってこんなにも心が狭かったっけ、と苦笑い。

「ずっと一緒にいたんだって嬉しそうに言ってました。なんかそういうの羨ましいなって」
「でも高校卒業してからは一度も会ってなかったんですけどね」

私は正志さんが羨ましいです。心底そう思っていたら、優希さんが戻ってきた。

「おや、楽しそうですね」
「優希さんのこと褒めてたんですよ。ね、純さん」
「まぁそんなところ」

嘘っぽいなぁと笑いながら、そう言えば、と声にする。

「志保さんって、お酒弱いんですか?」
「あぁ、弱いんだけど好きらしくて」

何を言い出すかと思えば。
志保についての知らない事を知れるのは嬉しいけど、今、ちゃんと笑顔で聞けてるか心配だ。

「飲み会とか食事に行った時でもそうなんだけど――」

どうやら志保はよく酔っ払うそうだ。同期のよしみで正志さんが世話係を任されているらしい。

「お兄ちゃんみたいに思われてるのかな。同期だけど、僕2年浪人してるから」

年上か。頼れる、というキーワードは志保の好み一直線。

「…正志さんは志保のことどう思ってるんですか?」

思ったことが口をついて出た。自分で自分の首を絞めてるって自分が一番理解してる。
もしこれで意識してます、なんて言われたら…多分かなり動揺する。

「なんか、妹みたいで可愛いですよ?」

忘れてた。この人、鈍感なんだった。優希さんをちらり見てみれば、これは手強いぞと言わんばかりの笑顔をくれた。
志保は態度に出やすいから、正志さんのことを好きな確率というか、可能性は十二分にあるわけで。今はただ、この場に志保がいなくて良かったと思った。妹発言聞いたらショックだろうし。

「純さんは?」
「え?」

正志さんの問いかけに、声が喉で引っかかった。その答えを言ったところで友達に対してのそれだとしか思われないだろうけど。
だから余計に悔しくて言えなかった。

「…大切な友達ですよ、志保は」

何の裏もなく嬉しそうに笑う正志さんを見てられなくて、手元のシェイカーに視線を落とす。そこには情けない顔をした私が映っていた。


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