春よ来い
□3月12日火曜日
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3月12日 火曜日。
開店準備中に志保に会うことになった。
碧ちゃんに叱られた後、自分のあれこれは置いておいて、ひとまず志保に謝罪のメールを送信した。深夜だったけど、その時を逃すと尻込みしてしまいそうだったから。
翌朝届いていた返信には気にしないで、という言葉と、相談があるの、という内容。なんとなくあの彼の事だろうと思ったら、すぐに返事が出来なかった。
それでも了承の内容を送る。直接会って土曜のことを謝りたかったし。
『仕事は?』
『今日は公休なの』
『店のドアは開いてるから入ってきて』
ここまで来ると、随分と心も落ち着いて。いや…落ち着きたいんだろうなぁ。
ひとつついた溜め息で曇ったグラスを磨く。柔らかい間接照明が反射して、繊細に輝く。
約束した通りに店で待ちながら、それでも時間がもったいなくて。明後日配るプレゼントの袋にカードを貼っていく。
昼下がり、店の前を通っていく人たちは何とも忙しそう。
ちょっと外に出てみれば、陽の光がだいぶ暖かくなってきたことに気付いた。
街路樹の桜に近づけば、その蕾が膨らみ始めていた。
「春なんだなぁ」
これから、私は志保が持ってくる話次第で冬になるけどね。そんなことを思って苦笑い。
そろそろ志保との約束の時間になる。
店内に戻って、話がスムーズに進むようにとあれこれ準備をすることにした。
カランカラン、と乾いたベルの音。
「おじゃまします」
「いらっしゃいませ」
クセでいつものように答えると、志保が嬉しそうに笑った。
「一度入ってみたかったんだよね」
「開店時間に来てくれたらいいんだよ。そしたらいくらでも相手してあげるんだけど」
「お客さんとしてでしょ?」
「そりゃそうだ。ま、とりあえず座ったら?」
カウンターに座るように促して、用意していた物を差し出す。
「え、なあに?コレ」
「ん、材料が余ってたから」
おしぼりと、簡単につまめる食べ物と、リンゴのフレッシュジュースを並べる。
「ありがとう」
「うん、いや。まぁ…その、だね」
「うん?」
「ごめん。土曜、は…なんかしんどくて、志保に当たっちゃって」
頭を下げれば、長い溜め息が聞こえて。ちらっと志保を窺えば、困ったみたいに笑っていた。許してくれたことに、していい、のかな?
「純てさ」
「はぃ」
「変わってないよね、昔から全然」
そう言うとグラスに口を付けて、美味しいと微笑んだ。
「同じ人間だしね」
「うん…嬉しかった。なんか」
素直に喜べたら良いのに。そんなふうに言われるとドキドキするからやめて欲しいなんて思ってしまう。
「それは私にも言えることだけどね」
「純も?ほんと?」
「うん。でも」
言葉にして、自分を導く。どうしたいのか、声にする。
「変わったところも、変わろうと思ってるとこもあるよ」
「えぇ…純にはそのままでいて欲しいんだけど」
「大丈夫。大した変化は感じないはずだから」
私にとっては大きな変化だけど、志保にとったら今まで通りだしね。
「例えばどんなところ?」
「んー、内面的なところかな。ていうか、志保の相談に乗るって話だったでしょ」
私の話はどうでもいいんだよ。
「で、何だった?」
強引に話を志保へと向ければ、どこか不服そうな顔をした後、それでもひとつ頷いた。
「うん。えっと、前に言ってたでしょ?いろんな人の恋愛を見てきてるって」
やっぱりか、って気持ちが胸を占めて。叫びたくなるのを我慢して今度は私が頷く。
「まぁそうだねぇ…何、恋愛相談?」
「私の話を聞いて、純はどう思うのかなって、思って」
どう思うのかって?そりゃもう今すぐ泣きだしたいくらいです。
でも、変わると決めたんだ。
ずっと好きでいる為に。幸せを願えるようになる為に。
「とりあえず、話してみてよ」
カウンター越し、正面に座る志保。
俯いた時に流れた髪の綺麗さが、やけに目についた。