春よ来い

□3月17日日曜日
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3月17日 日曜日

携帯が震える音で目を覚ました。ぼんやりとした頭で状況を把握していく。
今日は仕事も休みのはず。ついでに世間一般も休み。だからといって他に予定を入れた覚えもない。
更に言えばアラームをかけた覚えもない。私はもっと寝ていても許されるはずだ。

順序立てて考えている間も携帯の振動音は続いていて、どうやら私がそれを手にするまで止まることはなさそうだ。
いつもならベッドサイドで充電をしておくけど、昨日は帰ってそのままローテーブルの上に放り出したんだっけ。

「あー…どなたです、かぁ」

ベッドから出ずに上半身だけ外に出して、腕を目一杯伸ばす。
指先に触れた携帯を上手く引き寄せてディスプレイを見た。


『着信 志保』


…いざ現実に直面すると、逃げ出してしまいたくなる。
覚悟したくせに、幸せを願うって決めたのに、わがままでごめんなさい。
着信が切れて、LEDが点滅し始めた。今度はベッドサイドで充電をする。多分、例の結果報告の為に呼び出しといったところだろう。

昨日、一昨日と、わざと忙しくした。考えちゃうと体と心がざわざわしちゃうから。
仕事に集中すれば、と思ったけれど、そこを離れちゃえば着信ひとつに肩をびくつかせる。
携帯が震える度に緊張と安堵を繰り返したけど、結局、志保からの連絡は一切なかった。
そして数時間前、帰宅して一人になった途端、涙腺がバカみたいに涙が溢れて仕方なくなった。
シャワーを浴びるついでに、久しぶりに声を上げて泣いてみた。いつぶりかは覚えていない。
泣き疲れても夢は見るみたいだけど、志保と一緒にいた頃の内容はちょっと勘弁してほしかった。


もう一度、震えだした端末。焼けるような胸を抑えこんで通話ボタンを押した。

『あ、もしもし。純?』
「…おはよう」
『おはよう。もしかして寝起き?』

耳をくすぐる声は、どことなく普段よりも穏やかだ。

「あー、うん。」
『そっか。あのさ、ちょっと会いたいんだけど…』

携帯を握る手に力が籠る。

「ごめん、今日はちょっと」
『用事ある?』

用事はない。けど、今の顔で会うことは憚られる。
ろくに冷やさずに寝てしまったから、瞼が腫れてるし。
とりあえずこの顔では会いたくない、と頭に過ったら、口からはするりと言い訳が出てきた。

「今度のイベントに向けて忙しくってね。しばらく休みの日は会えないかも」

一応、本当半分、嘘半分。いや、嘘7割くらい、かな。

『あ、そっか…いつなら時間、空いてるかな』
「うーん、もし良ければ、お店やってる時に来てくれたりすると嬉しいかな」

話は直接、店に来てして欲しい。彼も連れて来ていいからさ。
そこで簡潔に結果を伝えてくれると有難いかな。
明日の営業時間には、見られる顔に戻ってると思うから。

『うん』
「その時は、ちゃんと話聞くから」
『うん、わかった』
「ごめんね。それじゃあ」

志保の声を聞いてから、通話終了のボタンを押した。大きく息を吐くと、胸が軋んだ。
心の中で詫びながら時計に目をやると、もうお昼近く。
こんな時間に起きておいて、休みの日は忙しいなんてよく言えたもんだ。
窓から覗く空はどんよりと曇り空。これからひと雨きそうな感じ。
思い立ったこととは言え、すぐに海に行っておいて良かった。なんてぼんやりと思いながら、お昼ごはんはどうしたものかと思案して。
そういえば昨日、バレンタインのお返しにと頂いた大量のトマトの存在を思い出した。
キッチンの棚にはパスタもあったし、今日はひと手間掛けて美味しいミートソースパスタにしよう。

「うん。それなら食べられそうだ」

急いで買い物を済ませれば雨にも降られないだろう。そうやって色々考えている間に頭もだいぶ冴えてきた。
簡単に着替えて、鏡で寝癖が付いていないかチェックして、顔を洗って。
瞼の腫れを誤魔化す為にメガネをかけて。持ち物は財布と鍵のみ。
そしてもう一度、心の中で志保に謝ってから家を出た。
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