麗死蝶
□第十抄
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麗骨は蛮骨の部屋で目覚めた。
朝日を見ても気持ちが晴れない。
昨日のことを思い出すと恐怖で身震いする。
大丈夫だと蛮骨にその手を止められたが、やはり無意識に着物の上から腕を擦ってしまう。
忌まわしい記憶を剥がし落とすように。
その感触を剥がし落とすように。
麗骨は、晴れない不安定な気持ちのままで、自室に籠って行った。
蛮骨と、そのまま蛮骨の部屋で寝ついた蛇骨は、襖の閉じる音を聞くと黙ったまま目を開いた。
(やはり、気持ちは晴れないか……)
忘れようとしていた記憶の蓋をこじ開けられたようなものだ。
感情を取り戻した麗骨にとって、本当につらいことだっただろう。
(やっと、周りの景色にも目を向けるようになったっていうのに……)
蛇骨も思い起こしていた。
買い物に出た時の彼女の瞳は澄んでいて、綺麗だった。
自然を見つめながら楽しいと言った少女。
そして、<七人隊>に出会えて良かったと言った少女。
あの無垢な思いが踏みにじられた。
そうして、二人とも身体を起こして、視線を交わす。
殻に籠ってしまっているかもしれない。
しばらく、そっとしておこうと同じ考えを持っていた。
二人は、そろそろ朝餉の時間だと、身なりを整えると大広間の方に向かって行った。
「おや?麗骨は?」
大広間に蛮骨と蛇骨と二人が入って来ると、睡骨がすぐに気づいて聞いた。
「ちょっと寝起きが悪くてな」
蛮骨が誤魔化して答える。
睡骨や銀骨たちは、いつもしっかり身なりを整えて朝餉の席に着いている麗骨が珍しいなと思うだけだった。
だが、煉骨は疑いの目を向けている。
察しのいい彼は、昨日、水を汲みに行った時、麗骨に何かあったのだと感じ取っていた。
そうして二人が着席すると、麗骨がいないだけのいつも通りの朝の時間が始まったのだった。
そして、少しした時に煉骨が蛮骨にそう言えば、と声を掛けた。
「そうか……」
蛮骨はそれだけで頷くと、朝餉を終えて、一旦、大広間を出て行った。
麗骨は抱え込んだ膝に顔を埋めて、自分の殻に閉じ籠っていた。
そうして何刻の時が経っただろうか。
ふいに襖が開く音がして、麗骨は少しだけ顔を上げて覗いた。
「今日、依頼があった。お前はどうする?」
部屋にやって来たのは蛮骨だった。
「行かない」
麗骨は淡泊に即答した。
その返答を予想していた蛮骨はそうか、と呟いて襖を閉めて行った。
「・・・・・」
麗骨はまた腕の中に顔を伏せた。
自然と耳に物音が伝わってくる。
自分の返事を聞いてすぐに蛮骨は<七人隊>を率いて出て行ったようだ。
屋敷の中がしんと静かになった。
静まり返った屋敷の中で独りきりで、伏せて目を瞑っている麗骨は、その暗闇を彷徨い始めた。
無意識に掌に力が入り、腕を力強く握り締め、そしてまた、擦り始める。
記憶が、
感触が、
拭えない。
――血が欲しい……
麗骨はふとそう思った。
その瞬間、足元でカタカタという音がした。
俯けていた顔を上げた麗骨はその音の方を見つめる。
彼女の思いに呼応するように“麗死蝶”が武者震いを見せているのだ。
――血が欲しい……
忌まわしい記憶と、感触から麗骨の心は再び狂乱し始めていた。
――血が欲しい……
そして、むくりと立ち上がると徐ろに押入れを開けた。
「!!」
麗骨は思いもよらぬモノがそこに仕舞ってあったので一瞬驚いたが、それを取り出すと着替えを始めた。
それは女物の着物であった。
それも、もう顔も思い出せない両親に昔、市で買ってもらったような、濃い桃色の着物だった。
麗骨はそれに袖を通し、帯を締めると、足元に寝ていた“麗死蝶”を手に取り、本能のままに屋敷の外に向けて歩き出したのだった。
∴ ∴ ∴
蛮骨たちは、朝に依頼のために出掛けてから、夕焼け色が広がってきた頃になって帰って来た。
「帰ったぞ〜」
蛮骨が大鉾・“蛮竜”を肩に担いだまま屋敷の玄関を入ると、奥の部屋にいるだろう麗骨に聞こえるように大声で言った。