麗死蝶
□第十抄
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だが、彼の呼び掛けに対して空しさだけが返ってきた。
「ん?どうなってる?」
蛮骨は不審に思った。
屋敷はしんと静まり返っており、人の気配が全く感じられなかったのだ。
「麗骨?おい!?麗骨?」
“蛮竜”を玄関口に立て掛けて置くと、どんどんと奥の麗骨の部屋まで進んで行った。
蛮骨と同じく怪訝に思った蛇骨も彼に従った。
そんな二人の様子を見て他の仲間は、そんなに心配するほど子どもでもないだろうにと思った。
そうして屋敷に上がると、各々いつも通りに、戦闘の荷解きをして身体を休め始めた。
だが、煉骨だけは気がかりな表情を見せていた。
仲間たちがゆっくりし始めた頃、蛮骨と蛇骨は麗骨の部屋へと辿り着き、恐る恐る彼女の部屋の襖を開けた。
「っ!!?」
先にいた蛮骨は、その部屋がもぬけの殻であることに自分の目を疑い、ゆっくり開いていた襖の残りを勢いよく開いて淡い思いに期待した。
だが、襖を全開にしても、その場には麗骨の姿はもちろん気配すらなかったのだった。
「なっ!?あいつ、どこに行っちまったんだ?」
蛇骨も麗骨がいないことを知るや否や疑問を言葉に出した。
「分かんねえ…」
蛮骨が苦い声を発する。
麗骨に行く当てはない。
今の彼女の居場所はここ、<七人隊>にしかないのだ。
昨日の出来事から塞ぎ込んでしまっていた麗骨。
今朝も久しぶりにひどく自分の腕を擦っていた。
それは、忌まわしい記憶を思い出す時によくする仕草だった。
自分を囲っていた野盗の生き残りに襲われたことによって変わりつつあった彼女が元に戻ってしまったのかもしれない。
嫌だった記憶。
嫌だった感触。
そうなってしまった彼女が起こす行動とは――。
「あ!」
蛮骨と共に、麗骨の気持ちや行動を思い起こしていた蛇骨ははっとして自然と声を上げた。
「どうした?蛇骨?」
「いや、もしかしたら…」
先日、買い物に行った先で野盗と出会った麗骨が、野盗に対する憎しみから自分の狂気を抑えることができなくなったことを思い出した。
「もし、昨日のことで囲われていた時の忌まわしい記憶に囚われてしまったとしたら…」
きっとまた狂気に満ちてしまっているかもしれない。
野盗だけでなく村人までも殺そうとした、あの狂乱した麗骨になっているかもしれない。
蛮骨もそれに納得がいった。
そうして、少し頭の中が整理ついた時、もう一つ気づいたことがあった。
麗骨の部屋の押入れが開いていて、その畳の上には今朝着ていた漆黒の水干が脱ぎ捨ててあった。
その代わりに、その押入れに蛮骨がこっそりと入れておいた女物の着物がなくなっていた。
「ちっ…」
蛮骨は蛇骨の考えが確実に当たりだろうと思い至った。
「蛇骨、近くの村を探すぞ!」
「あ、あぁ」
麗骨は過去の記憶に苛まれて、囚われて、そして狂気に至り、再び<麗死蝶>として飛び立って行ってしまったのだと確信したのだった。
∴ ∴ ∴
<七人隊>の屋敷から出た麗骨はふらふらとさ迷うように目的もなく意思もなく歩き続け、森を抜け出ても尚、歩き続けて、そうして一つの村に辿り着いた。
その村に彼女が辿り着いたほんの数刻――。
そこは炎の海と化し、“生きているモノ”たちの悲鳴が響き渡り始めた。
自分の視界が捉えるのは、ゆらゆらと揺れる朱い炎だけ。
感じるのは、自分の手にある刀・“麗死蝶”の感触だけ。
思考が暗闇に囚われている。
それ以外の全てが無に帰していく。
そして、本能的に“麗死蝶”を持つ手を振るう。
(“鱗翅の舞”)
心の中で念じたというのに、麗骨と同調している“麗死蝶”は、彼女の想いに呼応しその力を発揮した。
舞は刀の一閃、一閃が光の筋となって繋がり、見た者にはそれがまるで蝶の翅のように見える。
だが、その舞は周囲の炎を巻き込み、更に火の勢力を強め、煙も増して、人々の逃げ道を閉ざし、熱と息苦しさの地獄へと誘なっていく。
そうして、更なる悲鳴がこの場を支配していく。
耳に届いた悲鳴に心地良さを感じ、麗骨は恍惚の表情を見せ始めた。