はみだしっこ

□はみだしっこ
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 蠢いている。

 見知らぬナニかが。

 久しぶりに戻った狭い自室を見やって、朝倉(あさくら)は銜えていたニコチンを静かに吸い込んだ。肺を満たしていく苦いヤニが現状を嘲笑う。幻覚か認めたくない現実か。それとも、くたばる前の神の思し召しとやらか。ネクタイを緩めつつ眇める先には、埃をかぶってひしゃげた己の部屋番号。耄碌(もうろく)して間違ったわけではなさそうだと確認する。

 さんさんと降り注ぐ光を受けて、丸まった茶色の頭。日向ぼっこか。いいご身分だ。

「……ねこ。お前の新しい子か」

「にゃ」

 見下ろした三毛猫からは肯定とも否定とも取れる反応。現実的に考えて後者だろうが、面倒なことに巻き込まれるのは真っ平だという思考が判断を鈍らせる。

「メシにするか」

 なー。

 そういえばと遅れて気づき、手にしていた副流煙の原因を揉み消す。

「……ん」

「起きたか」

「……ッ! オッサン、誰だ!」

 幼い顔で寝ていた男は、飛び起きて威嚇する。

「人んちに不法侵入したクセに、ゴアイサツだな少年」

 身長は自分よりも同じか高いか。成長期だから伸びしろはあるだろう。同時に着崩された制服から学生らしい情報も得る。そして驚くほど整った顔立ちであることも。

「はぁあ? ここ空き部屋だろ! あんたこそ取り立てか? 扉も窓も開いてたし、こんな何もない部屋に住めるかよ!」

 威勢のいい声に眉をひそめる。

「扉閉め忘れてたか? 窓はコイツが時々来るから開けてあんだ。電気ガス水道通ってる空き部屋があってたまるか」

 なー。

 ひとつひとつに至極丁寧に返してやりながら、本日の己の寛大さに感嘆する。無理やり寄越された希望もしない休暇だったが、心の余裕とはかくも素晴らしきことか。警戒を隠しもしないで唸っている人物を前に、のんびりと朝倉は確認した。

「おい、ねこの子。キサマはミルクか?」



 猫の子はトキと名乗った。散々茶髪だの少年だのと適当に呼んでいたのに腹を立てたらしい。こちらとしては識別できれば何でもいい。

「……また来たのか」

 通い猫が増えた室内を見回して、朝倉は嘆息した。

 煙草が吸えない。動物とどう見ても未成年を前に、自室に戻ってからの不本意な禁煙生活を強いられる。増えるのはコーヒーとトキが持ち込んだ大量の飴の消費。顔を覆って嘆けば、あっけらかんと返される始末。

「いいじゃん、健康的で」

「早々にくたばる、俺の未来予定図を勝手に変えるな」

「オッサン自殺志願者?」

 吸いすぎて肺ボロボロになって、呼吸困難でもがき苦しみながら野垂れ死ぬのも悪くない。だがそれに他人を巻き込む、お涙頂戴な思考は欠片もない。

「あー……似たようなモンか」

 本心はそうであるが、現実はそうばかり言ってられない。

 面倒になって説明を放棄した朝倉は、美味くもないコップの中に視線を落とした。

「もしかして慰謝料とか養育費とか、そんなの?」

「んあ?」

 まさかまだ食いついてくるとは思っておらず、間抜けな返事をこぼす。これまで互いに当たり障りのない会話しかしていないのに、何の気まぐれだ。

「指輪、してんじゃん」

 忘れていた。

 目を瞬かせ、久しぶりに視界に入れた薬指。ついでにその存在を感触でも確かめる。

 高い空の、晴れたあの日。

 引かれた腕。

 ひっそりと忍び込んだ名も知らぬ神の前。不届きものの自分たち以外は誰も居らず。ステンドグラスの光を受けた、見上げた先のしたり顔。

「──ああ。そんな真似事もしたな」

 青臭い若気の至りと言ってしまえば、それまでの遠い出来事。

 苦く上げた口角は、コップに付けることで隠れただろうか。流す液体が胃の場所を知らしめる。

「そんなことより、お前はこれからも来るのか」

 探られたくない腹は誰にでもある。不自然を承知に話を変えると、トキは口を突きだしてムッとした表情をつくる。ほんとガキ。

「それが? もう来るな。家帰れ、学校行けって?」

 今まで散々言い続けられたのか、ソッポを向いての拒絶。

「いや? ちっせぇ子供じゃねぇんだ、てめぇで決めろ。ねこが来てたらメシやっといてくれ。ついでに適当にメーター回しとけよ」

「は?」

 振り返った、ストレートに表した怪訝さが笑いを誘う。

「水ってな停滞させとくと腐るし錆びんだ。職場で缶詰になって、帰ってきてから面倒事なんざゴメンだ。料金は引き落としだから問題ないだろ」

「……今までどうしてたんだよ」

 呆れながら指摘されて目を瞬かせる。

「ああ、ホームレスなんかが時々入っててな。好きに使っていいが、連れ込むのだけはよしてくれ。跡形もなく片づけるならいいが、ただ壁が薄いから──」

 トキのような若いのが入り込んでいたのははじめて。しかも再三訪れる物好きな人間だなんて皆無。それこそ、気まぐれに居ついたのは三毛猫くらいだ。その上、未成年では保護者の介入だのと面倒事が起こるのではないかと訝しがった。

「あんた、どこまで適当なんだ!!」

 トキと初めて対面した頃を思い返しつつ、口の中で飴を遊ばせていれば怒鳴られる。

「何とかなるぞ。俺が戻ると、どいつもこいつも逃げていく」

 今までいざこざは起こったことがない。人相の悪さは自覚している。おかげでその手の勧誘が絶えなくて、辟易しているほどだ。

「わかった! 仕方ないから来てやる!」

「頼りにしてるぞ少年よ。あー……面倒だったら住んでもいいぞ」

 棒読みで返せば、一瞬の呆けから直後きつく睨まれる。

「鍵寄越せ!」

 カギ……。

 声を漏らしながら見回すまでもない狭い室内で、扉に張り付けてあるのを発見する。

「そこ」

 確か無くさないように目のつくところにしたんだよな。俺天才。

「オッサン! いい加減にしろよ! 何をそんなに考えたらハゲになんだ!」

「失礼だな、わざわざ剃ってるぞ」

 髪型セットするの面倒になったからが理由だが。

 後頭部を撫でながら反論すれば、狭い部屋に若者の怒号が響いた。

「いい加減にしろ、イチから教育してやる!」






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