GS:氷室/マスター

□怪盗Reiichi
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 「Close」と下げられた店の前で、私は立ち止まった。
 木製の厳めしい造りのくせに、店主同様、どこか人を惹きつけて止まない扉は小憎らしい。
 いっそこのまま帰ってしまおうか。

 何度もそう思って、私は足を止める。
 でも、結局最後はこの扉を開けるのだ。

 店内に乾いたペルの音が響く。
 夜になれば、ここも人でいっぱいだが、流石に開店前とあっては店主とその悪友の姿しか見当たらない。

「いらっしゃい、春霞ちゃん」

 店主の声に出迎えられ、私はいつも通り頭を下げた。
 できるだけ、背筋を伸ばして姿勢良く歩き、カウンター越しの店主と向き合うように座る。
 極力隣りに視線を捕われないように。

「こんばんは、マスター……」
「レモネードを2つだ」

 簡潔に遮られる声に、また私は聞き惚れる。
 つい1時間ばかり前に聞いたばかりの声だが、こちらも憎らしいくらいに良い声だ。

 店主は苦笑しつつ、冷蔵庫に向き直った。

「少し、遅かったようだが?」

 無機質な感情のない声に左右されるのはいつも私だ。

「先生には、関係ないことです」

 ここで怒鳴ってしまってはいつものパターンだと、ぐっと自分を堪える。
 かすかな笑い声が聞こえる。
 絶対に、今見てはいけない。
 だって、今日は――。

「春霞ちゃん、軽くサンドイッチでも食べるかい?
 仕事の前に」

 仕事の前に腹ごしらえを。

 その言葉に導かれるままに顔を向けた私の視界に、優しく微笑む男の姿が入った。

 カウンター回りだけの小さな光だけでも、艶めく紫銀の髪。
 細く光彩の入るマラカイトの深い緑の瞳。
 その辺の女性に劣らない白皙の素肌。
 そして、何よりも整いすぎるほど精巧な顔立ち。
 僅かに残る幼ささえ含めて、すべてが完璧な男の名は氷室零一という。
 私の自慢の担任教師だ。

「春霞ちゃん?」

 呼びかけで気がついて、店主に向き直る。
 この薄暗さできっと、火照った顔は気づかれないはずだ。

「ありがとうございます。
 でも、これからパーティーに行くんですよ?」
「ははは。
 だって、春霞ちゃん、花形のモデルだろ?
 食べれない食べれない」
「ひどいです、マスターさん。
 私、今日はそれがいっちばん楽しみなんですからね!」

 芸術祭の受賞パーティーで、私は理事長直々にモデル役を仰せつかっている。

 酒場の店主と実直な教師、そして優等生な私達は秘密を共有している。

 氷室を中心に、怪盗Reiichiという義賊まがいのことを行っているのだ。
 氷室は在るべきモノを在るべき場所へ還そうとしているだけだという。
 それでも、犯罪には違いない。

 マスコミでは散々、祭り上げられ囃したてられているが、私達の関係も態度も変わらない。

 そして、今回の依頼は天才芸術家といわれる三原色氏。
 内容は盗まれたデザイン。

「おい。
 裏は取れたのか?」

 ささやかな笑いに氷水でもかける声に、店主は笑ったまま返した。

「オレが春霞ちゃんと仲良いからってひがまない。
 ひがまない」
「仕事の話だ」

 冗談も通じやしない。
 今日は常に輪をかけて機嫌が悪いらしい。
 店主は軽く肩を竦めてみせて、男に向き直った。

「確かに美術部に三原氏が居残っていた日に、誰かはいた。
 そして、そいつは斎藤氏と交流があるのも確証がある。
 でも、ひとつわからないコトがあるんだ」

 店主にわからないコト。

 それは、どうして三原氏が絵を書いている最中に席を外したか。
 集中している時、人払いをかけるほど、神経質な芸術家。
 それが中断してまで席を外す理由がわからない、と。

 氷室の視線が、私に一瞥された。

「そんなことは――どうでもいい」

 席を立って、カウンター奥の扉をくぐる。
 その背中を私はただ見つめていた。

「なに、怒ってんだろうね。
 あいつ」

 不思議そうにマスターは呟いていた。

 三原氏が席を外した時、私は三原氏に会っている。
 昇降口の前で。

「私もそろそろ行きますね」
「レモネード飲んでいきなよ」
「そろそろ開店させないとダメですよ、マスターさん」

 来た時と同様に、私は通りすぎるようにバーを離れた。



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