GS:氷室/マスター

□恋と愛の境界線
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 薄暗い店内は、密やかに客たちがさざめき合う。
 それを一瞥して、俺はカウンター席に着いた。
 座るとすでに目の前に店主をしている悪友がスタンバイしている。
 陽気な笑顔は崩れることなく、店内奥へと走らせている。

 そこにあるのは一台の黒光りするグランドピアノだ。
 狭い店内の三分の一を占領させながらでも置きたかった理由は、俺に弾かせるためだと言っていた。

「なぁ、零一」
「弾かないぞ」

 言葉を先取りして言ったつもりだが、店主は声をひそめて笑う。
 そして、俺の前にレモン色のグラスを置く。

「おい」
「いつものは、却下だ」

 言いながら、店主の声は笑いを必死に堪えている。
 押し殺した笑いは、策略の影を持つ。

「何故だ?」
「今にわかるって」

 ドアが開いて、また一人カウンターに向かってくる客の為に、店主は俺の前から離れていった。

 しかたなく、出されたレモネードに口をつける。
 一人でこれを飲むのは久方ぶりだ。
 しかも、車で来ているわけでないというのに。

 レモネードのほろ苦さのある甘みに見出すのは、東雲春霞のことだ。

 何気なく振りかえる先にある彼女の視線は、いつも私と合うとまっすぐに見つめ返してきた。
 怖気づくことなく、ただまっすぐに。

 解答はいつも完璧に理想一歩手前。
 あと一歩を自分で突き崩し、俺を感じた事のない戸惑いに突き落とす。

 虫が知らせるように、俺はカウンター奥のドアに視線を移した。
 動く事のないドアはただ静かになにかを待っている。
 動かすのはいつも店主と俺だけで、二人ともが離れているのだから動くわけがない。
  その動くハズのないドアが揺れた。

 ノブをまわす微細な音がどうしてか届いてきて、グラスを持つ手を止めていた。
 俺だけじゃない。
 店内の誰もが話すのをやめて、そこに注目した。

 木製のドアから光が降り立つ。
 錯覚だとわかっていても、俺には他にどう表現すればいいのかわからない。

 深紅の薔薇色のカクテルドレスを来た、スラリと白い肢体の朗らかな少女が、店内を見まわして俺を見つけて微笑む。
 まさに花が開くというのは春霞の笑顔の事を云うのだろう。

「にやけてるぞ」

 店主の声に慌てて顔の筋肉を強張らせる。
 そうだ、こいつがいた。

「無理もない。
 春霞ちゃん、可愛いもんな」

 確かに彼女は可愛い。
 が、こいつに言われる筋合いはない。

 俺たちが会話している間に人波をすり抜けて、春霞はピアノの前に座った。
 ドレスアップして座る姿は、とても1年前の面影を残さない。
 あの頃より強い色香を放ち、俺だけでなく、店内の人々を魅了する。

 反論する気も起きない。
 ただ、彼女の仕草ひとつひとつの奏でる音楽をこの目に焼き付けるようにみていた。

 店中が静まり返っている中、春霞は鍵盤に指を置き。



 一気に滑らせた。



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