GS:氷室/マスター

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 晴れた日の日曜の午後。
 それはとても緩やかで穏やかな時間だ。

 俺は教師で、彼女は大学生で、お互いに共にいられる時間がかなり減ってしまった現在、この時間を俺はとても大切にしている。

 今、何か考えなかったか?

 別に俺は昼間から彼女を襲うような非常識ではないぞ。
 ――夜についてはノーコメントだ。

「零一さん、ノーシュガーで良いんですよね?」
「頼む」

 視線は本に置いているが、聴覚も意識も全部キッチンにいる少女――春霞に向いていて、さっぱり頭に入ってこない。

――フンフ〜ンフフフ〜ン♪

 機嫌のよさそうな鼻歌に、思わず顔が緩みそうになる。

 春霞が楽しそうだと俺にまでそれは伝染してくる。
 天性の才ともいうべきか、もともとどうも彼女は自然とそうした空気を持っている。

 ほどなく盆に二つ分の紅茶を手に、彼女は戻ってきた。

「紅茶セット、前からありましたっけ……?」
「ああ」
「見たことなかった気がするんですけど?」
「義人が以前勝手に置いていった」
「――それって、勝手に使って良かったんですか?」
「置いていったのだから要らないものなんだろう」

 カシャンと急に大きな音がしたので顔を上げると、春霞はもう座って自分の持ってきた本を開いたところだ。
 気のせいでなければ、いつもより座る距離が遠い気がするのだが。

「春霞」
「読書タイムにお互いの読むものに干渉しない約束、でしょ。
 わかってます」
「いや、そうではない」

 どうしたのだろう。
 先ほどまであんなに機嫌が良かったのに。
 俺は何かしたのだろうか。

 春霞は固い表情でこちらを見据えている。
 そう、さっきまで楽しそうだった目許が下がり、眉間に一本皺が寄りかけている。
 普段から笑顔でばかりいる彼女がそうだということは、よほど機嫌が悪いということだ。

「……その、君は何の本を読んで……」
「せーんせぇ。
 矛盾してますよ」

 かすかに笑ったものの、どうしてか刺々しい空気が消えない。
 何か気に障ることなど言っただろうか。

 視線が開いた本へと移るのを、少し寂しく思った。
 いつものことなのに。
 どこか、なにか、違う。

「春霞」
「………………」
「どうして」

 集中することを示すように、瞬きせずにページの繰られる音が響く。
 長いまつげがかすかに震えている。

「今日はそんなに離れて座る」
「気分です」

 きっぱりとした口調で、だがしかし顔は上げられない。
 文章を追うので忙しいとでも言うように。

 そっと立ち、本を覗き込んでみる。
 ――珍しく原書のようだ。

「なんですか?」

 声だけで、その後ろに邪魔だと主張する気配が見え隠れしている。
 震えるまつげは何を堪えているのか。

「いや、気分だ」
「はい?」
「気にしなくていい」
「じゃ、私があっちに行きます」
「そうか」
「て、どうして先生まで動くんですか」

 部屋の中央に立ったまま、春霞は珍しく反抗的な目を向ける。

「何か都合が悪いのか」
「いいえ。
 全然。
 全く!」
「ならば別に気にしなくてもいいだろう」
「〜〜〜〜〜っ」

 一週間に二人で昼間にゆったりと過ごせる時間は、そう多くはない。

 だからこそ、少しでも近くにいたいと思ってしまうのは俺が弱くなった証拠だろうか。
 春霞限定の弱さならば、それもいいと思っていたが。
 こうも露骨に目の前で嫌われると流石に堪える。

「言いたいことがあるならば、はっきりといいなさい」
「う〜……っ」

 にらまれていたと思っていた瞳が、次第に潤んでくる。
 涙が溢れてくるのに内心焦ったが、表面的には何でもないように手を伸ばす。
 その手を跳ね除けられる。

「黙っていては何を怒っているのか分からないだろう」
「怒ってません!」
「怒鳴るんじゃない」
「怒鳴ってません!」

 くるりと背を向けて、春霞はその場に座り込む。
 背中が……背中まで怒っている。

 細い滑らかなラインを流れて落ちるピンクブラウンが流れ、細い項がのぞく。

「春霞」
「もぅ今日は帰る!」
「待ちなさい」

 立ちあがる前に背中から小さな身体を抱きしめる。
 触れて初めて分かったのはその肩が震えていたこと。

「離してください」
「春霞が理由を話したら、そうしよう」

 ふわりと髪から香る、シャンプーの匂いに狂いそうな衝動を押さえる。
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