GS:氷室/マスター

□the sound of FOOTSTEPs
1ページ/4ページ

ドリーム設定





 自分の足音がやけに耳につく日だった。

 普段はこれほど気になることなどないのに、どうしてか足音に敏感な日。

 足音が耳につくのは、たぶん緊張しているせいだとわかっている。
 吹奏楽部の発表の時だって、こんなに緊張しなかった。

 大通りを少し離れた場所に立っている、樹肌色のこんじまりとした小さな店の前で私は足を止める。

「まだ、開いてないか。
 当たり前だわ」

 小さなつぶやきに、自分でさらに呟いて、ノックしかけた手を下げた。
 硝子の向こうは暗くてよく見えないし、丁度目線の高さに「CLOSE」と手書きのプレートが揺れている。

 店の名前は「CANTALOUPE」という。
 マスクメロンの一種にそんな名前があると、辞書に載っていた。
 マスクメロンにそんなに種類があるのかと、ちょっと笑った。

 時刻は夕刻5時半を少し過ぎたところ。
 夏の始まる直前とはいえ、もう日も高くまだまだ明るい。
 もっとも、あと一時間もすれば、暗くなってくるのだろうが。

「でも」

 もしかして、開店準備で開いていたりしないだろうか。
 そうは見えないが、氷室先生の親友みたいだし。
 もしかすると、かなり几帳面で、責任感が強くて、もう開店準備なんてしてたりなんて――しないか。

 軽い気持ちでまわしたドアノブは、なんの引っかかりもなくまわる。

(…………うそ……)

 腕に力を入れて、気持ちと一緒に押してみる。

「まだ開店準備中だぜ、れ……」

 楽しげな声がぴたりと止まる。

「あれ、君は」

 薄暗さの奥から聞こえてくるのは、間違えようもないマスターの声。
 早くその姿を捉えられるように数度両目を閉じ、深く息を吸いこんでから開く。
 そうした後には先ほどまでの位置にマスターの姿はなく、一瞬焦る。

 声と気配は、すぐ近くから聞えた。

「いらっしゃい、と言いたいところだけど、制服はちょっと」

 カウンター左の奥から声も顔も苦笑しながら歩いてくる男は、どことなく飄々とした雰囲気を醸し出しているが、どこか憎めない愛嬌が滲んでいる。

 つられた笑いを返しながら、一度帰って着替えたほうが良かったかと後悔する。
 今更、だけど。

「氷室先生かと思いました?」
「氷室?」

 一時、考えこんでから、そうか、と笑う。
 親友の苗字に思い当たらなかったらしい。
 その手に導かれるままに私はカウンター席へ案内される。

 椅子は高めで、足はつかず。
 気持ちも一緒に浮かんでいる。

「だって零一以外に開店前のこんな時間に来る奴はいないしね」

 カウンター内はディスプレイのようにワインの瓶が飾ってあって、異国情緒を醸し出す。
 だって、ラベルがほとんど英語とかフランス語とか……読めない言葉ばかりだ。

「一人できたのかい?」
「はい」
「見つかったら、零一に怒られるぜ」
「そうですね、見つかったら」

 合わさった視線は同じことを考えている。

「ま、見つからなければいいさ」

 言われた言葉は思った通りで、あまりに同じだったので、堪える笑いが声となってこぼれてしまった。

「あははっ」
「アイス食べる?」

 軽い音と共に目の前に置かれた縁の広いグラスに、白いアイスが丸く転がり、上から琥珀飴色のカラメルが網目状に無造作にかけられている。
 申し訳程度に乗せてある小さ目の枝つきチェリーが彩りを添える。

「わ」

 カラメル掛けがそれほど簡単でないのは知っているけど、無造作に見えて計算された美しさだ。
 やはり手先が器用だということなのだろう。

「いいんですか?」
「メロンじゃなくて悪いけどね」

 小さく添えられた台詞に視線を上げると、マスターはもう別な作業に移っている。

「いいえ」

 なにか他のことを言おうとしたのに、喉が詰まって、声をふさがれてしまったみたいだ。
 何故か、今、その笑顔が淋しげに見えてしまった。

「それ食べたら、帰りなよ」

 やわらかく言われたのに、拒絶されているようで心に深く突き刺さる。

 笑顔が、痛いと思ったのは初めてだ。

 変だと思ったんだ。
 同じなのに、違う。
 笑顔だけど、マスターがくれていたのは営業用の作られた笑顔。
 氷室先生と来た時とは全然違う笑顔。

 そんな顔を見たくて、来たわけじゃないのに。
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ